涙の跡を辿りて
「村長! 決断を!!」
男達の怒声に女達は隠れてしまう。
パブで一杯引っ掛けたものもそうでないものも、皆その場に集まっていた。
マルゴットの証言とユージェニーの証言で、ケセは『精霊憑き』である事がはっきり証明された……少なくともそう信じられた。
『精霊憑き』には死を。
それがクーセル村の今までのやり方であったし、これからもそうであろう。
『精霊憑き』はシンシンリーの怒りを買った人間が精霊にとり憑かれた状態を言う。
厄介なところは、精霊の怒りを買った者だけでなく、その人間に関わる総ての者に不幸をぶちまける点だ。
だから『精霊憑き』を見つけたなら、被害が広がる前に炎で焼き払い、シンシンリーへ許しを請わなくてはならない。
炎は精霊を傷つける事は無いとされている。
「……今宵がいいであろう」
ルービックはそういうと手に持っていた葡萄酒に口をつけた。どんなに飲み物を摂取しようとも、口の渇きは止まらない。
ルービック夫人は男達総てに行き渡るよう硝子から木製のマグまで持ち出し、集まった男達の為に手配した。そして地下の酒倉を開き、どんどん好きなだけ酒を飲めるようにしてから別室で孫娘の相手をしている。
難しい事は男達に任せておくのが賢明な女性のとるべき道だとルービック夫人は、クーセル村の女達は、理解していた。
男達は大声で村長の決意に同意を示し、酒をあおり、手を叩いた。
「流石ルービック村長!」
「で、誰が行くんですかい!?」
男達は酒の勢いも手伝って、手のつけられない野獣のような危険な生き物に変わっていた。
「言い伝えでは三十三人が見届けるべしとある。この場に集ったのは五十一人。わしは責任者としてついて行くから、残り三十二人、アミダか何かで決めるとしよう」
「アミダァア!?」
男達が素っ頓狂な声を上げた。
そんな大事な事をアミダくじで決めても良いものだろうか?
ルービックはこほん、と、咳払いすると男達を見回した。威厳を保つ事など、この男には容易い事である。
「不公平が起きないように、だ。なお、アミダの順番はジャンケンで決めてもらおう」
「ジャンケンン~!?」
男達が今度は情けない声を出す。こういう役目は選りすぐりの男達の仕事だろう!?
「わしは公平な性格なのだよ。長として、そうあらねばならない」
ルービックは飄々と言う。
そして、ジャンケンが始まった。
ケセとヒトカは、その時、居間のソファでじゃれていた。
口づけを交わし、お互いの髪をなで、首筋を吸う。こうしているうちにお互いが昂ぶってしまい、ケセがヒトカを寝室に抱き上げて連れて行ってしまうのだ。秋にはそこまで持たず居間のラグの上で身体を重ねる事もあった。だが、真冬の今、流石に風邪を引きそうなのでケセは己と恋人を焦らす様に言葉を連ね、ベッドに連れ込むのである。
ところが今日は勝手が違った。
ヒトカが突然、がたがた震えだしたのだ。
深緑の瞳は、これ以上は無いという程見開かれている。
恐怖。
その表情から読み取れる感情はコレしかなかった。
「どうしたんだ!? ヒトカ!?」
ヒトカは「あー、あー、」と呻きながら、必死で首を振った。
ケセ、助けテ……!
ヒトカは心の中で叫ぶ。
震える自分を、ケセはしっかりと抱き締めてくれている。少し、強すぎる位に。
ケセは完全に混乱していた。
こんなヒトカ、見た事が無い!!
《女……王》
精霊語で、ヒトカは呼ぶ。
だが、呼ばれた当人はヒトカの言葉など完璧に無視した。
「人よ! 妾が愛し児を長年にわたり辱め、いたぶり、そして今、命までもを取らんとするその行為、寛大な妾にも見過ごす事の出来ぬ事ぞ!!」
人々の脳裏に響いたのは、シンシンリーの女王の声。怒り狂い、猛る女王の声。
ケセも瞳を見開いた。金色の光がその目に灯る。
「妾の忍耐にも限度がある。愛し児の願いであるが故に寛大にもそなたらの暴挙、見て見ぬふりをした妾が愚かさ、口惜しや。許せ、我が子らよ。妾はこの名において邪なる心もつ者達を白の揺籃に閉じ込めらん!!」
そして、凄まじい音がした。
雪崩だ、そう解ったのは何故であろうと思いながら、ケセは意識を失う。
精霊の女王が放つ、むき出しの害意に触れるには、人の神経はあまりに繊細であった。
「ケセ……?」
ヒトカの声にもケセは反応しない。
ケセは今日の出来事総てを、夢で見ていた。
夢ですか? 真実ですか?
シンシンリー!! 答えて!!
ヒトカと二人、ただ暮らしていくだけでも罪になるのですか?
あの村人達は……ああ、ただの夢ならどれほどいいか!!
だがケセにはわかってしまう。アレはシンシンリーの女王が見せたまことの出来事だと。
ぱちりと目を開けたケセの頬は涙でボロボロになっていた。皮膚がぴりぴりする。
影が落ちている。ヒトカの深緑の瞳が心配そうに自分を覗き込んでいた。深緑とこげ茶の不可思議な髪の毛は、まるで帳。
「ヒトカ……」
あの夢。あの悪夢がただの夢であったらどんなに良かったか知れないのに。
ヒトカの深緑の瞳に映るはケセのみ。
「クーセル村は……?」
ヒトカは目を閉じて激しく首を振った。
「そうか」
そう言って、ケセはヒトカを自分の寝台に引き入れる。そうして一瞬だけ、逃げたのだ。
明日は乞うてみよう。
一瞬の逃避を、シンシンリー、許して。
男達の怒声に女達は隠れてしまう。
パブで一杯引っ掛けたものもそうでないものも、皆その場に集まっていた。
マルゴットの証言とユージェニーの証言で、ケセは『精霊憑き』である事がはっきり証明された……少なくともそう信じられた。
『精霊憑き』には死を。
それがクーセル村の今までのやり方であったし、これからもそうであろう。
『精霊憑き』はシンシンリーの怒りを買った人間が精霊にとり憑かれた状態を言う。
厄介なところは、精霊の怒りを買った者だけでなく、その人間に関わる総ての者に不幸をぶちまける点だ。
だから『精霊憑き』を見つけたなら、被害が広がる前に炎で焼き払い、シンシンリーへ許しを請わなくてはならない。
炎は精霊を傷つける事は無いとされている。
「……今宵がいいであろう」
ルービックはそういうと手に持っていた葡萄酒に口をつけた。どんなに飲み物を摂取しようとも、口の渇きは止まらない。
ルービック夫人は男達総てに行き渡るよう硝子から木製のマグまで持ち出し、集まった男達の為に手配した。そして地下の酒倉を開き、どんどん好きなだけ酒を飲めるようにしてから別室で孫娘の相手をしている。
難しい事は男達に任せておくのが賢明な女性のとるべき道だとルービック夫人は、クーセル村の女達は、理解していた。
男達は大声で村長の決意に同意を示し、酒をあおり、手を叩いた。
「流石ルービック村長!」
「で、誰が行くんですかい!?」
男達は酒の勢いも手伝って、手のつけられない野獣のような危険な生き物に変わっていた。
「言い伝えでは三十三人が見届けるべしとある。この場に集ったのは五十一人。わしは責任者としてついて行くから、残り三十二人、アミダか何かで決めるとしよう」
「アミダァア!?」
男達が素っ頓狂な声を上げた。
そんな大事な事をアミダくじで決めても良いものだろうか?
ルービックはこほん、と、咳払いすると男達を見回した。威厳を保つ事など、この男には容易い事である。
「不公平が起きないように、だ。なお、アミダの順番はジャンケンで決めてもらおう」
「ジャンケンン~!?」
男達が今度は情けない声を出す。こういう役目は選りすぐりの男達の仕事だろう!?
「わしは公平な性格なのだよ。長として、そうあらねばならない」
ルービックは飄々と言う。
そして、ジャンケンが始まった。
ケセとヒトカは、その時、居間のソファでじゃれていた。
口づけを交わし、お互いの髪をなで、首筋を吸う。こうしているうちにお互いが昂ぶってしまい、ケセがヒトカを寝室に抱き上げて連れて行ってしまうのだ。秋にはそこまで持たず居間のラグの上で身体を重ねる事もあった。だが、真冬の今、流石に風邪を引きそうなのでケセは己と恋人を焦らす様に言葉を連ね、ベッドに連れ込むのである。
ところが今日は勝手が違った。
ヒトカが突然、がたがた震えだしたのだ。
深緑の瞳は、これ以上は無いという程見開かれている。
恐怖。
その表情から読み取れる感情はコレしかなかった。
「どうしたんだ!? ヒトカ!?」
ヒトカは「あー、あー、」と呻きながら、必死で首を振った。
ケセ、助けテ……!
ヒトカは心の中で叫ぶ。
震える自分を、ケセはしっかりと抱き締めてくれている。少し、強すぎる位に。
ケセは完全に混乱していた。
こんなヒトカ、見た事が無い!!
《女……王》
精霊語で、ヒトカは呼ぶ。
だが、呼ばれた当人はヒトカの言葉など完璧に無視した。
「人よ! 妾が愛し児を長年にわたり辱め、いたぶり、そして今、命までもを取らんとするその行為、寛大な妾にも見過ごす事の出来ぬ事ぞ!!」
人々の脳裏に響いたのは、シンシンリーの女王の声。怒り狂い、猛る女王の声。
ケセも瞳を見開いた。金色の光がその目に灯る。
「妾の忍耐にも限度がある。愛し児の願いであるが故に寛大にもそなたらの暴挙、見て見ぬふりをした妾が愚かさ、口惜しや。許せ、我が子らよ。妾はこの名において邪なる心もつ者達を白の揺籃に閉じ込めらん!!」
そして、凄まじい音がした。
雪崩だ、そう解ったのは何故であろうと思いながら、ケセは意識を失う。
精霊の女王が放つ、むき出しの害意に触れるには、人の神経はあまりに繊細であった。
「ケセ……?」
ヒトカの声にもケセは反応しない。
ケセは今日の出来事総てを、夢で見ていた。
夢ですか? 真実ですか?
シンシンリー!! 答えて!!
ヒトカと二人、ただ暮らしていくだけでも罪になるのですか?
あの村人達は……ああ、ただの夢ならどれほどいいか!!
だがケセにはわかってしまう。アレはシンシンリーの女王が見せたまことの出来事だと。
ぱちりと目を開けたケセの頬は涙でボロボロになっていた。皮膚がぴりぴりする。
影が落ちている。ヒトカの深緑の瞳が心配そうに自分を覗き込んでいた。深緑とこげ茶の不可思議な髪の毛は、まるで帳。
「ヒトカ……」
あの夢。あの悪夢がただの夢であったらどんなに良かったか知れないのに。
ヒトカの深緑の瞳に映るはケセのみ。
「クーセル村は……?」
ヒトカは目を閉じて激しく首を振った。
「そうか」
そう言って、ケセはヒトカを自分の寝台に引き入れる。そうして一瞬だけ、逃げたのだ。
明日は乞うてみよう。
一瞬の逃避を、シンシンリー、許して。