涙の跡を辿りて
ケセの章6・精霊の女王
ケセは一歩一歩、ゆっくりと歩いた。
息が白くて、皮の手袋に包まれた手も冷たかった。
雪崩に飲み込まれた村、人々。
ケセには徒歩一時間の距離のクーセル村からの物音が聞こえるとは思えなかった。だが、確かにその耳は聞き、精霊の女王の怒りも身に突き刺さるように感じたのだ。
精霊の女王は白の揺籃(ようらん)に閉じ込めると言い、その通りにした。つまり、雪の下の人々は眠っているだけだ。
ヒトカが教えてくれたのはそれだけだった。
ヒトカも怒りを抱いている。ケセを消し去ろうとした人間達に。
許されるものならば、ヒトカはクーセル村の跡地に出向くであろう。そして呪いを掛けるであろう。
ケセは、しかし、命が助かったと単純に喜べなかった。ヒトカも、林檎をくれた少女までもが生き埋めになっているかと思うと辛かった。
クーセル村の人口は三百二十に満たない。だが、それだけの命が、雪の下で眠っているのだ。
急ごう、と、ケセは思った。愛しい精霊が、自分の不在に気付くまでに、ケセは何としても精霊の女王に逢わなくてはならなかった。
雪が止んだ。
だが、道は険しいことこの上ない。
けれども、女王は親切だった。
一定の間隔で落ちているエメラルド。
大粒で親指の爪ほどもあるそれが、ケセを『精霊の樹海』から導いてくれた。
ケセでさえ知らなかった道を、宝石が示してくれる。
身体が火照る。
緊張と畏れに。
それはケセが初めて覚える感情だった。
そして汗をかき始めた頃、今までの最短速度でケセはシンシンリーの中腹に着いた。
エメラルドが落ちていないか目を凝らしていたケセは何気なく一歩踏み出し、そして、顔を上げた。
何かふわりとするものを、ケセはすり抜けたのだ。そして唐突にするお茶と焼きたての菓子の匂い。
「え……?」
ケセは目を凝らした。
金色の髪に菫の瞳。
フランセルが、そこにいた。
「何を驚いた顔していらっしゃるのです? 先生。お座り下さりませ」
「違う……フランセル嬢がこんな所にいる訳が……」
「先生? 早くお座りになって。お茶が冷めてしまいますわ」
「フランセル嬢……」
唐突に、フランセルは天を仰いだ。
そして笑い出す。心底、おかしそうに。
「何故座らぬ? 折角そなたにも馴染みのある姿で待っておったというに、妾の接待を受けぬと申すか? おお、痛い痛い。妾の繊細な心は針で突かれるようじゃ。今にも血が噴き出さんとしているかのよう」
フランセルの笑顔には、今までケセが見たどの人間にも無い不思議な威厳が備わっていた。人の世の王になら拝した事がある。ただ人の王に感じたモノと葉違う。違いすぎる。 人ではない。
彼女は精霊の女王。
フランセルの姿をとっているだけだ。
気付くと、自然にケセは地面に跪いていた。
そして、女王の衣の裾に接吻する。
「やれやれ」
フランセルは、否、女王は長い長い髪の毛を持ち上げた。それが見る見るうちに真っ白に染まる。処女雪の白。
そして瞳は新緑の緑に。
その姿は幼く、十にも満たぬ様に見受けられる。儚げで、それでいて決して折れない。
ああ、そうだったのか。そうケセは納得する。フランセルに感じた美質は女王のものだったのか。
否、と、心の奥底で声がした。
フランセルはフランセル。女王は女王だ。
そして、埋もれていたピースの一つが浮かび上がる。それは女王の名。いつでも呼ぶが良い、いつでも助けてやろうと、気紛れに授けられた名。
「大地母神の七人目の娘、永遠をかける御方、精霊の女王ディオヴィカ様……!」
「覚えて……おった訳ではなさそうじゃな。この姿、見て思い出したか? 何処まで思い出した? 言うてみやれ?」
「総てを……」
ケセの頬を熱い涙が伝う。それを拭おうともせぬ愛し児を、ディオヴィカは抱き締めた。
息が白くて、皮の手袋に包まれた手も冷たかった。
雪崩に飲み込まれた村、人々。
ケセには徒歩一時間の距離のクーセル村からの物音が聞こえるとは思えなかった。だが、確かにその耳は聞き、精霊の女王の怒りも身に突き刺さるように感じたのだ。
精霊の女王は白の揺籃(ようらん)に閉じ込めると言い、その通りにした。つまり、雪の下の人々は眠っているだけだ。
ヒトカが教えてくれたのはそれだけだった。
ヒトカも怒りを抱いている。ケセを消し去ろうとした人間達に。
許されるものならば、ヒトカはクーセル村の跡地に出向くであろう。そして呪いを掛けるであろう。
ケセは、しかし、命が助かったと単純に喜べなかった。ヒトカも、林檎をくれた少女までもが生き埋めになっているかと思うと辛かった。
クーセル村の人口は三百二十に満たない。だが、それだけの命が、雪の下で眠っているのだ。
急ごう、と、ケセは思った。愛しい精霊が、自分の不在に気付くまでに、ケセは何としても精霊の女王に逢わなくてはならなかった。
雪が止んだ。
だが、道は険しいことこの上ない。
けれども、女王は親切だった。
一定の間隔で落ちているエメラルド。
大粒で親指の爪ほどもあるそれが、ケセを『精霊の樹海』から導いてくれた。
ケセでさえ知らなかった道を、宝石が示してくれる。
身体が火照る。
緊張と畏れに。
それはケセが初めて覚える感情だった。
そして汗をかき始めた頃、今までの最短速度でケセはシンシンリーの中腹に着いた。
エメラルドが落ちていないか目を凝らしていたケセは何気なく一歩踏み出し、そして、顔を上げた。
何かふわりとするものを、ケセはすり抜けたのだ。そして唐突にするお茶と焼きたての菓子の匂い。
「え……?」
ケセは目を凝らした。
金色の髪に菫の瞳。
フランセルが、そこにいた。
「何を驚いた顔していらっしゃるのです? 先生。お座り下さりませ」
「違う……フランセル嬢がこんな所にいる訳が……」
「先生? 早くお座りになって。お茶が冷めてしまいますわ」
「フランセル嬢……」
唐突に、フランセルは天を仰いだ。
そして笑い出す。心底、おかしそうに。
「何故座らぬ? 折角そなたにも馴染みのある姿で待っておったというに、妾の接待を受けぬと申すか? おお、痛い痛い。妾の繊細な心は針で突かれるようじゃ。今にも血が噴き出さんとしているかのよう」
フランセルの笑顔には、今までケセが見たどの人間にも無い不思議な威厳が備わっていた。人の世の王になら拝した事がある。ただ人の王に感じたモノと葉違う。違いすぎる。 人ではない。
彼女は精霊の女王。
フランセルの姿をとっているだけだ。
気付くと、自然にケセは地面に跪いていた。
そして、女王の衣の裾に接吻する。
「やれやれ」
フランセルは、否、女王は長い長い髪の毛を持ち上げた。それが見る見るうちに真っ白に染まる。処女雪の白。
そして瞳は新緑の緑に。
その姿は幼く、十にも満たぬ様に見受けられる。儚げで、それでいて決して折れない。
ああ、そうだったのか。そうケセは納得する。フランセルに感じた美質は女王のものだったのか。
否、と、心の奥底で声がした。
フランセルはフランセル。女王は女王だ。
そして、埋もれていたピースの一つが浮かび上がる。それは女王の名。いつでも呼ぶが良い、いつでも助けてやろうと、気紛れに授けられた名。
「大地母神の七人目の娘、永遠をかける御方、精霊の女王ディオヴィカ様……!」
「覚えて……おった訳ではなさそうじゃな。この姿、見て思い出したか? 何処まで思い出した? 言うてみやれ?」
「総てを……」
ケセの頬を熱い涙が伝う。それを拭おうともせぬ愛し児を、ディオヴィカは抱き締めた。