涙の跡を辿りて
太陽が部屋を金色に染める頃、ヒトカは階下へ降りていった。
ケセはその事にも気付かない。部屋が薄暗くなる中、何もせずに燭台の蝋燭に火がついた事にも気付かない。
それは、ヒトカがケセの為に下級精霊に頼んだものであった。邪魔をしないで、驚かせないで、そっと火を点してと。
やがて、ケセは立ち上がった。
「出来た! ヒトカ!?」
声を上げたものの、ヒトカの姿が目に付かない。
ケセは夢中で書きあげた絵本の用紙を乱暴に机に放り投げた。そして階下へと急ぐ。
一階は、暖かく暖炉に火が入り、そして美味しそうな食事の匂いが充満していた。
「ヒトカ!?」
「ヘセ?」
ヒトカは何が起こったのか理解できないような声を上げる。
テーブルの上には、美味しそうな料理が並んでいた。決して豪華ではない、だが、食欲をそそる料理。
それを見て、ケセはそっと溜息を吐いた。
ヒトカは此処にいる。
確かに、此処にいるのだ。
ケセは後ろからヒトカを抱き締めた。
「何処かに行ってしまったかと思った……」
「ヘセ?」
ヒトカは食卓にソテーしたジャガイモを置き、腕を上に伸ばした。ケセの頭を捕まえる。
「ヒトカ、ココ」
「何でヒトカは僕のそばにいてくれる? 僕は何も出来ないのに」
「ヒトカ、ヘセ、ココ」
ヒトカはにっこりと笑った。
何て愛らしい奴だとケセは思う。
首輪でもつけてしまいたい。自分だけが所有出来る様に。
精霊を『所有』したいと言うのは罰当たりな考え方なのだろうけれども。
堪らなくキスしたかった。
でも、ケセにはその理由が解らなかった。
「何処にも行かないで。ずっと僕といて」
ケセの哀願に、ヒトカはこくりと頷いた。
そう、ヒトカはずっとケセと一緒にいるつもりだった。それこそがヒトカの唯一にして絶対の望みであることをケセは知らない。
ヒトカが命をかけている事も、ケセは知らない。ただ此処に在ること、その為だけにヒトカが総てをかけている事もケセは知らない。
『あの御方』さえヒトカの身勝手さを許して下さるのならば。
十四年前、ヒトカの胸に生まれた想いを大切に育む事を許してくださった『あの御方』。
勿論、代償は払わねばならないだろうが。
例えば今回。
精霊としての魔力を一時的にだが失った事もヒトカがケセを助ける為に払った代償だった。もう殆ど力は戻りつつあるが。
精霊の接吻は命のやり取り。
ヒトカは食べ物を口にする必要はない。唇から、世界に溢れる『気』を取り込んでいるのだ。その反対の事をヒトカはケセにした。その後にケセが何気なく送った接吻がヒトカの目覚めを早くしたのであるがそうでなければ三日は眠っていたに違いない。
ディオヴィカの与えた頭痛で倒れたケセに命の息吹を与える為に口づけた。
本来なら許されざる事。
だが、ケセは愛し児であった。
シンシンリーの女王の愛し児であるという事はあらゆる精霊達にとっての愛し児でもあった。
シンシンリーの女王は精霊の女王。
そしてあの頭痛は女王の気紛れ。
「この食事、僕の為に?」
ケセの質問に、ヒトカは物思いから現に返り、誇らしげに頷く。
「絵本、デキル。ヘセ、お疲れサマ」
「有難う……ヒトカ」
ケセは涙が出そうだった。
ヒトカは何処にも行かなかった!
そして、ケセの為に料理を作ってくれた。自分の為だけに。絵本が出来上がると信じて。
それはどれ程のご馳走であろう!!
「美味しそうだ。冷めないうちに食べたいな」
ケセは目の淵まで盛り上がった涙を何とか零さないように勤め、食卓に着いた。
ヒトカが甲斐甲斐しくケセの世話を焼く。
その日の食事は、ケセが食べた事のあるどの食事よりも美味だった。
誰かが、自分の為に、自分の為だけに作ってくれる料理は、幸せの味がした。
ケセはその事にも気付かない。部屋が薄暗くなる中、何もせずに燭台の蝋燭に火がついた事にも気付かない。
それは、ヒトカがケセの為に下級精霊に頼んだものであった。邪魔をしないで、驚かせないで、そっと火を点してと。
やがて、ケセは立ち上がった。
「出来た! ヒトカ!?」
声を上げたものの、ヒトカの姿が目に付かない。
ケセは夢中で書きあげた絵本の用紙を乱暴に机に放り投げた。そして階下へと急ぐ。
一階は、暖かく暖炉に火が入り、そして美味しそうな食事の匂いが充満していた。
「ヒトカ!?」
「ヘセ?」
ヒトカは何が起こったのか理解できないような声を上げる。
テーブルの上には、美味しそうな料理が並んでいた。決して豪華ではない、だが、食欲をそそる料理。
それを見て、ケセはそっと溜息を吐いた。
ヒトカは此処にいる。
確かに、此処にいるのだ。
ケセは後ろからヒトカを抱き締めた。
「何処かに行ってしまったかと思った……」
「ヘセ?」
ヒトカは食卓にソテーしたジャガイモを置き、腕を上に伸ばした。ケセの頭を捕まえる。
「ヒトカ、ココ」
「何でヒトカは僕のそばにいてくれる? 僕は何も出来ないのに」
「ヒトカ、ヘセ、ココ」
ヒトカはにっこりと笑った。
何て愛らしい奴だとケセは思う。
首輪でもつけてしまいたい。自分だけが所有出来る様に。
精霊を『所有』したいと言うのは罰当たりな考え方なのだろうけれども。
堪らなくキスしたかった。
でも、ケセにはその理由が解らなかった。
「何処にも行かないで。ずっと僕といて」
ケセの哀願に、ヒトカはこくりと頷いた。
そう、ヒトカはずっとケセと一緒にいるつもりだった。それこそがヒトカの唯一にして絶対の望みであることをケセは知らない。
ヒトカが命をかけている事も、ケセは知らない。ただ此処に在ること、その為だけにヒトカが総てをかけている事もケセは知らない。
『あの御方』さえヒトカの身勝手さを許して下さるのならば。
十四年前、ヒトカの胸に生まれた想いを大切に育む事を許してくださった『あの御方』。
勿論、代償は払わねばならないだろうが。
例えば今回。
精霊としての魔力を一時的にだが失った事もヒトカがケセを助ける為に払った代償だった。もう殆ど力は戻りつつあるが。
精霊の接吻は命のやり取り。
ヒトカは食べ物を口にする必要はない。唇から、世界に溢れる『気』を取り込んでいるのだ。その反対の事をヒトカはケセにした。その後にケセが何気なく送った接吻がヒトカの目覚めを早くしたのであるがそうでなければ三日は眠っていたに違いない。
ディオヴィカの与えた頭痛で倒れたケセに命の息吹を与える為に口づけた。
本来なら許されざる事。
だが、ケセは愛し児であった。
シンシンリーの女王の愛し児であるという事はあらゆる精霊達にとっての愛し児でもあった。
シンシンリーの女王は精霊の女王。
そしてあの頭痛は女王の気紛れ。
「この食事、僕の為に?」
ケセの質問に、ヒトカは物思いから現に返り、誇らしげに頷く。
「絵本、デキル。ヘセ、お疲れサマ」
「有難う……ヒトカ」
ケセは涙が出そうだった。
ヒトカは何処にも行かなかった!
そして、ケセの為に料理を作ってくれた。自分の為だけに。絵本が出来上がると信じて。
それはどれ程のご馳走であろう!!
「美味しそうだ。冷めないうちに食べたいな」
ケセは目の淵まで盛り上がった涙を何とか零さないように勤め、食卓に着いた。
ヒトカが甲斐甲斐しくケセの世話を焼く。
その日の食事は、ケセが食べた事のあるどの食事よりも美味だった。
誰かが、自分の為に、自分の為だけに作ってくれる料理は、幸せの味がした。