私のちいさな戦争
☆ 
……ハロー
……
……ハロー
……
……聞こえますか?
……
私は……

こうして、本日何度目かになる彼女の試みは失敗に終わり、彼女は倒れ込むようにベンチへと身体を預けるのだった。通信機を額にかざしながら、彼女は真っ暗な天井をぼんやりと見つめる。
 灯りの乏しい部屋に注ぎ込むのは星の光。
 ずるずると重い身体を起こしながら、彼女は窓の外から届く光へと視線を移す。
 淡く光る青い星。
 星々がさざめく海に浮かんでいる遠い故郷を目の前に、彼女は煙草を取り出して火を灯す。胸に渦巻く重い煙を地球に向かって吹きかけ、通信機に目を落とす。表示されている通信画面からネットへ切り替えて、新着ニュース一覧に目を通していく。
 国際間格差問題。発達途上国で紛争。先進国ではテロ。
 宇宙開発は先進国を大きく成長させたが、その反動で発展途上国との間に大きな軋轢を生んだ。資源を失いつつある途上国は飢餓に苦しみ、宇宙への道を持つ先進国に敵対心を抱く組織を次々と生み出した。しかし、それも画面の向こう側の話。彼女にとっては何処までも遠く他人事でしかないニュースを流し見ていく。
突然、通信機が震えた。
 画面に表示されているのは親しい彼の名前。
あぁ、と彼女は呻き声を漏らして通信機の電源を切ると、机の上へと放り出した。大きな音を立てて転がっていく通信機を後目に、煙草の火を乱暴に消す。火が燻ぶる灰皿を前にして彼女は口惜しそうに爪を噛みながら、電話の主が暮らす星を睨み付けた。
「お、やっぱり此処にいたね」
 不意に声をかけられ、後ろを振り返る。
 部屋の入り口には褐色の肌を大きく晒した女性が立っていた。彼女は地面に転がる通信機を拾い上げると、またかい、と苦笑いを浮かべる。手にした通信機を机の上に置き、彼女はベンチに腰を下ろして大袈裟に鼻をつまんだ。
「何、アルマ」
「どうにもこの匂いは慣れない」
「五月蠅いな。なら喫煙所(ここ)に来なきゃいいじゃない」
 見せつけるように新しい煙草に火を点けて、深く煙を吸い込む。アルマは匂いに顔をしかまながら、窓の外に目を向ける。
「彼から連絡が来てるわよ」
 彼って誰、と煙を吐き出す。
「ベルタ、貴女のそういう素直じゃないところ良くないわよ。アランってば何度も貴女に連絡取ろうとしてるみたいじゃない」
「今は連絡を取りたくないの」
 それだけ言うとベルタは名残惜しそうに煙草の火を消して、通信機を片手に立ち上がる。彼女はベルタを引き止めることはせず宇宙を見つめながら、そう、とだけ答えた。アルマの横を足早に通り過ぎ、じゃあね、と一言残して喫煙所の出入口へと向かう。
 しかし、その足がぴたりと止まる。
 何時もは静かな喫煙所の外を忙しなく人々が行き来していた。
 出入口近くの壁に背を預け溜息をつく。
「どうかしたの。顔色悪いけど」
 外を見つめていたアルマが不思議そうにベルタを眺める。なんでもないわ、と彼女の視線から逃げる様に顔を背ける。通信機の電源を点け、画面を見る振りをしながら外の様子を横目で伺う。
「ならいいんだけどね。そうそう、もう一つ貴女に伝えなきゃいけないことがあったのよ」
「他に何があるのよ」
 目線を合わせることなく彼女の言葉に素気なくに答えた。すると今まで明るい表情だったアルマの顔が曇り、いやまぁ、と歯切れまで悪くなる。
「人類防衛戦線って知ってる?」
 アルマの言葉に先程眺めていたニュース記事を思い出した。急いで人類防衛戦線の名が入った記事を呼び出す。
「もしかして、もう知ってた? そいつらが今度この月面基地にテロを起こすって話」
 彼女の話を聞きながら画面に目を走らせる。人類は宇宙へ出るべきではなかったと主張する彼等の声明が大きく載っていた。
「……知らなかった」
「もう外は軽いパニックよ。上の人達は対策として最低限の技術者だけ残して、残りは地球(おか)に避難させるみたい。直ぐにでも避難についての連絡が回ってくると思う」
 アルマは言葉を切ると窓の外へと目を向ける。慌ただしく動き回る人々に視線を向けながら、ベルタはそう、とだけ小さく呟く。
「あんまり驚かないのね。まぁ、あくまで万が一を想定してのことだし、案外なんてことないかもね」
「だといいわね。でも、貴女わざわざそれを伝えるために私を探していたの」
 ええ、とにこやかに答えたアルマは、大変だったのよ、と先までの表情を崩して神妙そうな顔を作った。
「それはどうも。でも、何で私が此処にいるって分かったの」
 ベルタの質問に首を傾げた彼女は、そんなの簡単でしょ、とさらりと答える。
「空気が貴重な月面基地(ここ)で煙草が吸える贅沢な場所なんて限られてくるでしょう。貴女達、喫煙者の肩身の狭さは地球も宇宙も変わらないのよ」
 彼女の言葉に肩を竦めながら、廊下から人影が減ったのを確認して喫煙所から廊下へと一歩踏み出す。そこで一瞬足を止めて、アルマに声をかける。
「アルマ。貴女の露出度もなかなか宇宙(こっち)じゃ浮くんじゃないかしら」
 ベルタの言葉にむむむ、と唇を尖らせながらアルマは自分の身体を見下ろす。そんな彼女を喫煙所に残して、ベルタはその場を後にした。
< 1 / 4 >

この作品をシェア

pagetop