私のちいさな戦争
☆ ★
光りが降り注ぐ大地に人影がぽつり。
丸く無骨な宇宙服は星々の輝きを全身に受け、白く光って見える。
弾むようにゆっくりと人影に近づいていく。鼓動、息遣い、機器の稼働音が服の中で小さく弾けては消えていく。気配に気がついたのか、大地に佇む人物は静かに振り返った。
そして、聞こえてくるノイズ音。
「どうしたの。こんな所に来て」
ノイズ音が残響を残して消えていく。
横に並んで彼女が見ていた景色を眺める。
正面に大きく浮かぶ地球、それを囲むように散りばめられた星々。
「アルマがよく休みの日は静かの海にいるって聞いたから」
「確かによく来るわね」
それきりノイズ音は途切れ、淡々とした音だけが耳に刺さる。
ベルタはゆっくりとアルマの横に腰を下ろすと、彼女が今まで一人で見続けてきた景色をぼんやりと見つめた。
地表の七割を海が占める目の前の星は青々と輝く。
鼓動すらも遠く感じる距離感と孤独感。
何度も見た筈の光景なのに零れる様に吐息が漏れる。
「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」
「――だが、神はいなかった」
思わず零れたベルタの言葉に答えがあった。
アルマに視線を向けると彼女は変わらずに立ったまま星を眺めている。しかし、彼女が被るヘルメットの中は暗く、彼女の表情を伺うことは出来ない。ベルタは声をかけられず、静かに立ち尽くすアルマの姿を眺めるしかなかった。
「本当に誰もいないんだね」
どれだけ経ったのか、アルマはずんぐりとした身体を大きく伸ばして、その場に勢いよく座り込む。そこにある表情は何時もと変わらない明るいもの。
「流石の神様も真空は辛いんじゃない?」
そうかもね、と口元を緩めたアルマは辺りに目を向ける。
「でも、私は神様っていうのがいるとしたら宇宙(ここ)しかないと思ったんだよね」
残念、と呟いた彼女は掌を地球に向かってかざす。アルマはそのまま何度か掌を握りしめると、地面に身体を放りだす。一緒に横になるように、と彼女はそのまま隣の地面を軽く叩く。
「もしかしてイエス様は宇宙人なのかもね」
「神父様が卒倒するわね」
満点の星空の下、静かな明りを頼りにおしゃべりを続ける。
「アルマは宇宙人を探しに毎回ここに来てるの?」
「そうね。そうなのかもしれない」
彼女は噛み締める様に言葉を口にした。隣で横になっているアルマは正面に広がる光りの群れを真っ直ぐに見つめ、そうだったわね、と言葉を切る。
「先人の言葉を認めたくなくて私は此処に居るのかも知れない。まだ此処には、宇宙には可能性が、希望があるんだぞってね。」
「アルマらしいわね」
空に向かって握り拳を掲げる彼女の姿にベルタの頬が緩む。しかし、突き上げられた彼女の拳はふわりと力を失い、地面に落ちる。
「……ここまで辿り着いた私達が神様に取って代わっちゃったのかもね。」
彼女は静かに呟くと溜息を漏らした。
そして、またしばし沈黙が訪れる。
ベルタの中で、アルマの言葉がぐるぐると現れては消えていき、ただただ茫然と宇宙(そら)を眺めるしか出来なかった。
「そういえば、ベルタ。準備は進んでる?」
星の海にノイズが響く。
「準備って何のこと?」
ぼうと星々を見つめながら、漫然と彼女の質問に言葉を返す。
そんなベルタの様子にアルマは身体を起こして、上から顔を覗き込んでくる。
「私達、技術者の帰国届の提出って明日まででしょ」
「私、帰らないから」
正面から見つめるアルマの視線から逃げるように身体をよじる。しかし、彼女はベルタをしっかりと掴んで動くに動けない。
「どうして。貴女、向こうに家族がいるんでしょう」
「だから、帰りたくないの。あそこは私が居ても良い場所じゃなくなったの。地球の空気は私にはもう重すぎる」
「何を言ってるの?」
アルマの手を払い除けて立ち上がる。
「貴女が人探しで来たみたいに、私は人から離れるために宇宙(ここ)にきたの。全部投げ捨てて来た私に帰る場所はこの真暗な海しかない。だから、私は何処にも行かない。何処にも帰れない」
呆然と見上げるアルマに正面から向き合い、強い口調で答えた。アルマはゆっくりと立ち上がったが、ベルタに見向きもせず星々を見上げる。
「それでも貴女は一人になれない」
「そんなことは――」
ヘルメットにこつんと拳がぶつかった。
瞬間、瞳を閉じてしまう。
恐る恐る目を開けると、一歩先にアルマの後ろ姿があった。
彼女は全身に星灯りを浴びながら、大きく両手を宇宙に広げてベルタを振り返る。
「――だって宇宙には一人じゃ出られないでしょ。貴女はまだ誰かと繋がってるのよ」
乏しい明りの中、ベルタには彼女の笑顔が輝いて映った。
笑顔を浮かべたまま彼女は近づいてくると、ヘルメットをこつり、とベルタのヘルメットにぶつけて瞳をつぶる。慌てるベルタの肩に手を置いて、静かな口調で言葉をかける。
「一度戻ってみなさい。家族って悪くないものよ」
そのまま彼女は何度かベルタの頭を撫でると、よし、と掛け声をかけて一人基地に歩き始めた。その背中を追いかけようとしたが、彼女は手を振って、貴女は留まるように、と告げる。追いつこうと伸ばした手を恐る恐る引っ込めて、ベルタは如何することも出来ずにその場で立ち尽くす。
「アルマ、私は……どうしたら」
「年長者の出番はここまで。後は自分で考えてどうするか決めなさい。貴女も大人なんだから」
彼女は胸に点けていた予備の酸素パックをアルマに投げて渡すと、そのまま何事もなかったかのように一人で基地へ戻っていく。彼女の小さくなっていく背中を見つめながら、ベルタは手にした酸素パックを握り締める。
彼女の言葉を小さく呟く。
「宇宙には一人じゃ出られない……」
そうして、彼女は初めて故郷を見つめた。
丸く無骨な宇宙服は星々の輝きを全身に受け、白く光って見える。
弾むようにゆっくりと人影に近づいていく。鼓動、息遣い、機器の稼働音が服の中で小さく弾けては消えていく。気配に気がついたのか、大地に佇む人物は静かに振り返った。
そして、聞こえてくるノイズ音。
「どうしたの。こんな所に来て」
ノイズ音が残響を残して消えていく。
横に並んで彼女が見ていた景色を眺める。
正面に大きく浮かぶ地球、それを囲むように散りばめられた星々。
「アルマがよく休みの日は静かの海にいるって聞いたから」
「確かによく来るわね」
それきりノイズ音は途切れ、淡々とした音だけが耳に刺さる。
ベルタはゆっくりとアルマの横に腰を下ろすと、彼女が今まで一人で見続けてきた景色をぼんやりと見つめた。
地表の七割を海が占める目の前の星は青々と輝く。
鼓動すらも遠く感じる距離感と孤独感。
何度も見た筈の光景なのに零れる様に吐息が漏れる。
「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」
「――だが、神はいなかった」
思わず零れたベルタの言葉に答えがあった。
アルマに視線を向けると彼女は変わらずに立ったまま星を眺めている。しかし、彼女が被るヘルメットの中は暗く、彼女の表情を伺うことは出来ない。ベルタは声をかけられず、静かに立ち尽くすアルマの姿を眺めるしかなかった。
「本当に誰もいないんだね」
どれだけ経ったのか、アルマはずんぐりとした身体を大きく伸ばして、その場に勢いよく座り込む。そこにある表情は何時もと変わらない明るいもの。
「流石の神様も真空は辛いんじゃない?」
そうかもね、と口元を緩めたアルマは辺りに目を向ける。
「でも、私は神様っていうのがいるとしたら宇宙(ここ)しかないと思ったんだよね」
残念、と呟いた彼女は掌を地球に向かってかざす。アルマはそのまま何度か掌を握りしめると、地面に身体を放りだす。一緒に横になるように、と彼女はそのまま隣の地面を軽く叩く。
「もしかしてイエス様は宇宙人なのかもね」
「神父様が卒倒するわね」
満点の星空の下、静かな明りを頼りにおしゃべりを続ける。
「アルマは宇宙人を探しに毎回ここに来てるの?」
「そうね。そうなのかもしれない」
彼女は噛み締める様に言葉を口にした。隣で横になっているアルマは正面に広がる光りの群れを真っ直ぐに見つめ、そうだったわね、と言葉を切る。
「先人の言葉を認めたくなくて私は此処に居るのかも知れない。まだ此処には、宇宙には可能性が、希望があるんだぞってね。」
「アルマらしいわね」
空に向かって握り拳を掲げる彼女の姿にベルタの頬が緩む。しかし、突き上げられた彼女の拳はふわりと力を失い、地面に落ちる。
「……ここまで辿り着いた私達が神様に取って代わっちゃったのかもね。」
彼女は静かに呟くと溜息を漏らした。
そして、またしばし沈黙が訪れる。
ベルタの中で、アルマの言葉がぐるぐると現れては消えていき、ただただ茫然と宇宙(そら)を眺めるしか出来なかった。
「そういえば、ベルタ。準備は進んでる?」
星の海にノイズが響く。
「準備って何のこと?」
ぼうと星々を見つめながら、漫然と彼女の質問に言葉を返す。
そんなベルタの様子にアルマは身体を起こして、上から顔を覗き込んでくる。
「私達、技術者の帰国届の提出って明日まででしょ」
「私、帰らないから」
正面から見つめるアルマの視線から逃げるように身体をよじる。しかし、彼女はベルタをしっかりと掴んで動くに動けない。
「どうして。貴女、向こうに家族がいるんでしょう」
「だから、帰りたくないの。あそこは私が居ても良い場所じゃなくなったの。地球の空気は私にはもう重すぎる」
「何を言ってるの?」
アルマの手を払い除けて立ち上がる。
「貴女が人探しで来たみたいに、私は人から離れるために宇宙(ここ)にきたの。全部投げ捨てて来た私に帰る場所はこの真暗な海しかない。だから、私は何処にも行かない。何処にも帰れない」
呆然と見上げるアルマに正面から向き合い、強い口調で答えた。アルマはゆっくりと立ち上がったが、ベルタに見向きもせず星々を見上げる。
「それでも貴女は一人になれない」
「そんなことは――」
ヘルメットにこつんと拳がぶつかった。
瞬間、瞳を閉じてしまう。
恐る恐る目を開けると、一歩先にアルマの後ろ姿があった。
彼女は全身に星灯りを浴びながら、大きく両手を宇宙に広げてベルタを振り返る。
「――だって宇宙には一人じゃ出られないでしょ。貴女はまだ誰かと繋がってるのよ」
乏しい明りの中、ベルタには彼女の笑顔が輝いて映った。
笑顔を浮かべたまま彼女は近づいてくると、ヘルメットをこつり、とベルタのヘルメットにぶつけて瞳をつぶる。慌てるベルタの肩に手を置いて、静かな口調で言葉をかける。
「一度戻ってみなさい。家族って悪くないものよ」
そのまま彼女は何度かベルタの頭を撫でると、よし、と掛け声をかけて一人基地に歩き始めた。その背中を追いかけようとしたが、彼女は手を振って、貴女は留まるように、と告げる。追いつこうと伸ばした手を恐る恐る引っ込めて、ベルタは如何することも出来ずにその場で立ち尽くす。
「アルマ、私は……どうしたら」
「年長者の出番はここまで。後は自分で考えてどうするか決めなさい。貴女も大人なんだから」
彼女は胸に点けていた予備の酸素パックをアルマに投げて渡すと、そのまま何事もなかったかのように一人で基地へ戻っていく。彼女の小さくなっていく背中を見つめながら、ベルタは手にした酸素パックを握り締める。
彼女の言葉を小さく呟く。
「宇宙には一人じゃ出られない……」
そうして、彼女は初めて故郷を見つめた。