私は彼に愛されているらしい2
そう言うなり作業を終えていたファイルを閉じると有紗はおもむろに片付けに取り掛かり始める。

すっかりペースを乱された沢渡はくすぐったい気持ちで頭を掻きながらファイルを片付ける有紗に近付いていった。

「でも俺こんな時間にイタ飯とかヤだな。」

「じゃあ居酒屋にしましょうか。車は平気ですか?」

「タクシーで帰るからいい。乗ってくっしょ?」

「いえ。私は電車で帰りますから。」

軽快に会話を弾ませて2人はそのまま帰り支度を終えると並んで大部屋を後にしていく。

その様子を見ていた人たちは少なくなかったことを沢渡は知っていた。その中に東芝が居たことも分かっていたのだ。

人知れず口角を上げて胸の内で悪態をつく。

有紗の案内で訪れたのは個室の無い開けた空間の居酒屋だった。パーテーションの様な区分けはあるが、半個室と呼ぶにも難しい状態にさすがの有紗だと沢渡は苦笑いをする。

有紗も男の人と2人でどこかに行く場合はどういうことに気を付ければいいのかを分かっているつもりだった。

「残念、個室が良かったな。」

「カウンターの方が大人になったって優越感ありません?」

「何それ。」

「カウンターでお酒を飲むなんて、ちょっとカッコいいじゃないですか。」

「バーでもないのに?」

心底信じられないのか沢渡が表情を歪ませながら有紗に尋ねてくる。

そんな沢渡に笑みを浮かべると有紗は入口から店員と向かい合わせになるカウンターを眺めて答えた。

「あそこに座っているのは人生に大きなものを背負った人たちです。大人の哀愁っていうんですかね、家族だったり仕事だったり…人と向かい合うだけが会話の手段じゃないでしょう。」

1人で酒を飲む人、仲間と酌み交わす人、店員に絡む人、様々な人がカウンターに並んで色を成している。

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