私は彼に愛されているらしい2
強く意識して消し過ぎたせいか大輔の声もうまく思い出せない、楽しい思い出もなかなか浮かんでこない。目を開ければ相変わらずため息を吐きたくなる自分の顔が待っていた。

自分の心はどこまで行くのだろう、そんなことを胸の内で呟いてゆっくりと立ち上がる。

目的の駅に到着した電車は有紗を家へと招くように扉を開けた。

もう落ちるところまで落ちた、あとは必死にまた上っていくしかないと有紗は覚悟を決める。

図面の提出が終わったとはいえ直前に大きな失敗をした有紗に休息期間は訪れなかった。

関係部署との打ち合わせ、製作会社への連絡などやることは山積みで席にいることは殆どない。

東芝と関わることはもちろんだが、今回は沢渡と共有する箇所の問題だったことから沢渡とも深く関わり時間を共にするようになった。

以前であれば少し苦痛を感じたかもしれないが、金曜日に酒を酌み交わしたことで2人の間の空気は確実に変わっている。それは周りにも伝わるほどだった。

有紗の沢渡に対する警戒心は薄れ、沢渡から出される空気も以前より柔らかく優しいものになっている。

加えて有紗が薬指にはめていた指輪が無くなっていることから噂は一気に広まったのだ。

有紗が首から下げているネックレスにその指輪が通され服の下に隠されていることなど誰も知る由が無い。

出勤しても少し自席で作業していたかと思えばすぐに打ち合わせや会議で席を外してしまい、そのまま昼をまたぐ有紗はまだそのことを舞やみちるにも話せないでいた。

しかし自分から話すつもりはない。聞かれれば答えるくらいのつもりでいる。

個人携帯にメールが来ても返す様子は無く、日中の有紗の様子で忙し過ぎることは十分に伝わっているからこそ変に強く詮索されることも無かった。

東芝との会話も要点だけのものが多い。沢渡との会話もそうだったが周りはそう見てくれないようだ。

打ち合わせの合間に有紗が沢渡と並んで休憩する姿も見かけることから噂だけが面白おかしく伝わっていく。

「忙しそうね、有紗。」

「舞さん。なんか久しぶりですね。」

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