私は彼に愛されているらしい2
「それは大いに賛成だな。是非そうしてくれ。」

続いて降ってきた声に驚いて有紗の肩が跳ねる。

本能で振り向いてはいけないと分かって体が固まった。背にしていたパーテーションの向こう側に教育係の東芝が控えていたことに今気が付いたのだ。

「東芝…さん!?」

ゆっくりと軋む音を出しながら振り向くと期待通りに冷めた目をしていた東芝が見下ろす形で立っていた。静かすぎて恐ろしいこの事態に有紗の全身の毛穴が開いた感覚だ。

黙っていればクール系美男子の東芝設計士と爽やか系美男子の君塚設計士、この設計部の名物王子2人に囲まれて仕事をする有紗は散々周りの女子社員から羨ましがられた。

実際は毒舌と腹黒のどうしようもない連中だということを声を大にして伝えたい。

陰と陽、どちらも関わると怖い。それぞれの特徴で怖いのだ。

「月曜の打ち合わせ資料、勿論出来てる?」

「…あと一時間で必ず。」

「21時ね。過ぎたら俺は帰るから。」

「…はい。」

有紗の答えを聞くなり東芝はもうひと睨み利かせて部屋から出て行った。恐ろしい時間が終わったにも関わらず有紗の動悸は治まる気配がない。

掌は汗まみれだし何だか胃酸が逆流したように気持ちが悪くなってきた。容赦なく教育をしてくれる東芝は本当に21時を過ぎたら帰るだろうし、絶対に手助けはしてくれないだろう。

やっぱり今は色恋に現を抜かしている場合ではないぞ。有紗は手元に広がる残務を見つめて気持ちを引き締めた。

恋より仕事、キャリアだキャリア。

「30分の保険付き。出来なきゃ駄目でしょ、私。」

密かな東芝の優しさをありがたく頂いてその気持ちに答えないと見限られる。教育者が付いてくれている今の状態でいかに成長するか出来るかがこれからの自分のキャリア物差しになるのだ。

ハンカチで手の汗を拭い有紗は改めてマウスを握りしめた。


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