エリートなあなたとの密約
「この、バカ息子おおおお!」
すると開け放たれたままの空間に、けたたましく一喝する女性の声が響いた。
「え!?」と、素っ頓狂な声を上げてしまう私。対して、残りの人たちはどこ吹く風といった様子でそちらに視線を向けた。
敷居を挟んだ廊下側にピンと姿勢良く立っているのは、先ほどの明るい女将さんだ。
しかし、その顔は出迎えの時のものとは打って変わり、ある人物をきつく睨みつけていた。
「アホバカストーカー息子!馬鹿の一つ覚えも大概にしなさいっ!
怜葉ちゃんに来てくれたから抜け出して良いって誰が言ったのよ!まったく!
料理長が明日の仕込みは愚息に任せるって言ってたわよ?——その意見に私も口添えしてもよくてよ?」
にっこり笑っているようで、頬をピクピク引きつらせている女将の発言。この場でただひとり顔面蒼白になったのはもちろん、かの“まーくん”という男性だ。
そこに口角を上げた女将が、「早く行けえええ!」と唸り声にも似た駄目押しのひと言を放つ。
「何で俺がぁあああ!」
彼はこんな捨て台詞を残して、登場と同じようにバタバタと忙しい足音を立てていなくなってしまった。
ポカン、とさせられたのは私ひとりで。あとの3人は楽しそうに笑っている。……どうやらいつものことらしい。
「ごめんなさいね。見苦しいところをお見せして」
何だか色々と置いてきぼり状態の私に、そう詫びた女将さんはすでに仕事の顔に戻っていた。