ロング・ディスタンス
「仕事は?」
 神坂がすばやく話題を変える。
「病気療養休暇を取ってます。今、私の代わりの職員も派遣されるみたい」
「そうか。ならひとまず安心だな」
「でも、私の業務はそんなに長いこと空けられないんです。病欠があまり長くなるようだったら、下手すると私のポストが無くなっちゃいます」
「そんなことはないさ。しっかり療養すれば早く治癒するかもしれないからさ。それにお前は医療事務の資格を持っているんだろう。それの職務経験だってあるんだし、最悪、よそへ転職だってできるさ」
 神坂が事も無げに言う。
「転職だなんてそんなにかんたんに言わないでください!」
「おいおい、例えばの話だよ。もちろん、早期回復して職場に復帰できるに越したことはないと思うよ」
「先生。私、不安なんです。私、一目でいいから先生に会いたい! ここには私たちの知り合いは誰もいませんから、夜にでも、ほんの10分でも顔を見せにきてほしいんです!」

 栞自身もそれがわがままな願いであることはよくわかっている。
 でも、将来を誓い合った「婚約者」なら家族も同然のはずである。母親だって病院に足を運んだのだから、彼にだって窓越しにでも顔を見せにきてほしい。

「栞。難しいことを言うのはやめてくれ。お前が罹患しているのは伝染性の病気だ。わかるだろう? 仕事柄、下手にそういう患者に接するのは危険なんだ。うちには子どももいるしな。だから申し訳ないけど、お前に会いにいくことはできないんだよ」
「どうしてもダメなんですね。廊下の窓越しに会うことすらできないと言うんですね」

 恋人に触れることは叶わなくても、すぐそばでその声を聞いてその姿を見るだけで、どんなにか励まされるだろうと思ったのに。あれほど彼女のことをあきらめ切れないと言って追いかけてきたのなら、それくらいしてくれてもいいのではないか。 

 けれど神坂の答は変わらなかった。
「ああ。お前は病気で弱気になっているから、そんな無茶を言うんだ。病院で安静にしていれば、ちょっとは気分も落ち着いてくるよ。今、夜勤なんだ。そろそろ持ち場に戻らないといけないから電話を切るぞ」
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