ロング・ディスタンス
 それでも栞は思い切って言ってみる。
「そ、それでもいいですから行ってみたいんです」
 栞が顔を上げると、頭上には長濱の当惑した表情があった。
 今更、復縁したいというようなことを言われても困るのは当たり前だ。
「私、あの人とはもう別れましたから。もう何でもないんです」
 長濱に喫煙所での逢瀬を見られたからには、神坂のとの関係を清算したことを言っておきたい。だが、そんなことを言ったところで受け入れてもらえるはずもない。相手にしてみたら、だから何だという感じだろう。
「あの人って神坂先生のことだよね。ドライブの時言ってたあきらめられないものって、先生のことだったんだね」
 長濱にたずねられ、栞は首肯する。
 妻子持ちの男と不倫していたなんて、いかにも印象が悪い。ますます長濱が再び彼女を受け入れるなんて考えにくい。彼女はまたうなだれた。
「先生を紹介される前からあの人と付き合っていました。彼は既婚者です。でもそれは間違いだったと今では思っています。許されないことだった思います。あの人を忘れようとして先生と付き合ってみました。あなたには失礼なことでしたけど……。あの人は重病にかかった私を省みませんでした。それでやっと現実に気が付いたんです。私は彼にとって単なる遊び相手にすぎなかったんだって」
 あの夜、あの場面を見られなかったら、こんな恥ずかしい過去を告白する必要はなかった。
「一度はあなたをふったくせに、病院でお花をもらって、私は……」

 何かを言い掛けて言葉が詰まった。
 その先の言葉が出てこない。
 本当に大切な人の存在に気付いたと言いたいのに、上手く言葉がまとまらない。
 そんな虫のいいことを口に出して言っていいものなのだろうか。
 あっちがダメだったからこっちへ行くと思われてしまうかもしれない。
 目から涙があふれてくる。
 泣くつもりじゃなかった。そんなことをして長濱の同情を買うつもりはないのに。
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