ロング・ディスタンス
 次の言葉を待っていると、傍らで太一が笑うのが聞こえた。
「何、真剣な顔してるの?」
「だって!」
 だってあなたがそういう顔するからと栞は思う。
「冗談だよ」
「え?」
「いじわるなこと言ってごめん。ちょっと冗談を言ってみただけだよ」
 横を向くと、さっきとはうって変わって柔和な表情を浮かべている太一がいる。
「冗談!?」
「そ、冗談。どうやったって児島さんを斬り捨てることなんかできないよ。足蹴にされても恨む気にはなれない。君は得な人だ」
「先生。私、何て言ったらいいか……」
 栞の目にうっすらと涙が浮かぶ。
「なんも言わなくたっていいさ。なーんもね。君の気持ちはもうわかったから、もう思い悩まなくていいよ」
 太一はすっくと立ち上がると、両手で尻に付いた砂を払った。
「さ、行こうか。午後の便に乗って早く帰らないと、体に障るよ」

 車に戻る途中で彼がつぶやいた。
「それにしても不思議なことが起こるもんだな。児島さんの方から俺にアプローチしてくるなんてさ。人生、何が起こるかわからない」
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