鬼神姫(仮)
「……貴方はご自分の為という言葉をご存知ですか?」

社の中に翼の声が響いた。凛としたその声は何処か寂しげだ。今日の翼は一体どうしたというのだろう。

普段の彼女は無表情に単調な声色。眉一つ動かさない彼女が今日に限って、声色を変え、小さく表情を作る。

そんなに非難したいのか。

だけれど、彼女にこの気持ちは解らない。解るはずもないのだ。

「ただの人間には解らないよ」

酉嶋が言うと、翼はやはり珍しく眉を動かす。

そう、ただの人間にも、鬼にもこの気持ちは解らない。解るのは自分だけだ。

長い輪廻の果て。今此処にいる現実。遠い昔の出来事。

全てを知っている者にしか解らないのだ。そして、解って欲しいとも思わない。

「鬼神姫を殺す。確実にその息の根を止めるんだ。この、刀でね」

酉嶋は言いながら鞘に納められた刀を撫でた。

美しい細工の施された刀は懐かしいものだ。手触りだけで遥か昔を思い出す。この刀に収められた力を使いこなせるのは自分だけ。

そして、鬼神姫を永遠に亡き者に出来るのもこの刀だけ。

その刀が血に染まるのを想像するだけで、手が震える。そしてそれは歓喜からだ。

体中の血が解放を求める。そしてそれは自分の解放ではない。

彼女の解放だ。

氷沢呉。彼女の解放を求める血が溢れ出すかのようだった。







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