鬼神姫(仮)
「だって、俺だって姫様が心配で……」

凪は視線をうろうろと彷徨わせながら答えるが、その声は徐々に小さくなっていく。雪弥はそんな凪を見ながら、幼い頃から少しも変わっていないのだなと思った。

「貴様が心配することなど、何もありません」

貴様、という呼び方と緋川特有の丁寧な口調は何処かちぐはぐにおもえるものなのだが、これも昔からのことだ。緋川は実弟である凪にすら丁寧な口調を使うのだが、それでも彼を侮蔑を孕んだ目で見る。

その理由を雪弥は知らなかった。

「俺でも、僅かにでも力になることが出来ると思うのです。俺は緋鬼と西の番人の血を……」
「黙りなさい」

緋川が強く、低い声を出した。その表情は嫌悪に歪んでいるように見える。けれどそれは、いつも緋川が人間に向けるものとは少しだけ違う。

嫌っているというより、疎んでいる。

雪弥は緋川の整った横顔を見ながらそんなことを思った。

凪は少々五月蝿い節があるが、決して悪い男ではない。良く言えば天真爛漫だし、それでいて周りが見えない者ではない。

それに何より緋川からしたら実弟だ。

雪弥には兄弟というものはいないが、緋川のそれが肉親に対する態度でないことはわかる。

「兄上……」
「貴様に兄と呼ばれることすら本当は嫌なのです。それを赦しているのですから、屋敷で大人しくしてなさい」

緋川は凪を睨み付けながら言う。凪は唇を噛み締め、今にも泣き出しそうな程に紫色の美しい瞳を潤ませている。

緋川の瞳は緋色だ。まるで秋の紅葉のような美しい色。緋鬼の瞳はどの者もその色をしている。けれど、凪だけはアメジストのような紫色なのだ。


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