鬼神姫(仮)
「凪が此処にいたいのなら、いればよいことです。私が許可します」

雪弥は俯いて涙を堪える凪をこれ以上見てはおれず、そう口にした。

「雪弥様……」
「姫様っ」

緋川兄弟が同時に口を開く。雪弥はそれを聞いてから、凪に向き、好きにしなさい、と告げた。すると、凪はつい先程まで潤んでいた瞳を今度は輝かせた。

「姫様……有り難きお言葉」

凪は土下座に近い姿勢になり、床に膝をついた。しかし、その顔だけは確りと上げ、雪弥の両の手を握ってきた。冷たい感触が全身を貫く。

凪は昔から異様に体温が低い。真夏でも、冬に長時間外にいたかのような手の冷たさをしているのだ。

冷たいのは手だけではない。その首も、足も冷たい。全身が常にひんやりとしているのだ。

「離せよ」

いつまでも凪が雪弥から手を離さずにいると、銀が突然そんなことを言った。すると、それにその場にいた者全員が驚いたような表情を作る。勿論、雪弥もだ。

「え、あ、いつまでもんなことしてたら、飯の時間になんねぇだろ」

銀は自分でも驚いているかのように首を小さく横に振りながら言った。

「……今日は食事を拵える気分になれません。後程、雪弥様の分だけお持ちします。後はどうぞご勝手になさい」

緋川はそれだけ言うと、すたすたと来た道を戻っていった。

この屋敷での食事は基本全て緋川が用意しているのだ。何人分であろうと、彼はいつも決まった時間に手際よく食事を用意する。

そんな彼が食事を拵える気になれない、などというのは相当珍しいことだ。それほどまでに凪の出現が気に入らないということか。

雪弥は疑問を抱えながら、緋川の後ろ姿を眺めた。

幼い頃からずっと共にいるというのに、何も知らないのだ。自分が知らないのは何も人間や、自分の前世や祖先のことだけではない。他の鬼のことも何も知らないのだ。



< 136 / 175 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop