鬼神姫(仮)
「私は食事は用意されるようですので、失礼します」

雪弥はいつまでも寝間着でいるのも、と思い、その場にいる銀と陽にそう告げた。巴は姿を現してはいない。

巴に与えられた部屋は此処から少し離れているので、もしかしたら騒ぎに気付かずにまだ寝ているのかもしれない。

「おい、裏切りだぞ」

陽が訳のわからない言葉を吐き、踵を返した雪弥の肩に手を伸ばした。陽の指先が僅かに雪弥の肩に触れた刹那、どん、という音が背後に響いた。

雪弥はその音に驚き、意識する前に振り返った。すると、廊下には陽の小柄な体が見事に転がっていた。そして凪がそれを見下ろすように立っている。

「…………てぇなっ。何すんだっ」

陽が勢いよく飛び上がるかのように体を起こしながら凪に詰め寄った。

「現鬼神姫、雪弥様に気安く触れることは許しません。例え、貴方達が番人であろうとも。鬼は元より高貴な存在。そして鬼神姫は、その頂点に君臨するお方なのです」

そう言う凪の横顔は雪弥の知っている凪のものではなかった。いつも下がっている眉は真っ直ぐに上がり、口角は横に引かれている。

「は……?」

陽は腰を痛めたのか、腰に手を置きながら間抜けな声を出した。

「凪。何をしているの?」

雪弥は陽に近寄り、大丈夫ですか、と声を掛けた。すると陽は何が起きたのか理解していない顔で頷いた。

「え、ああ、申し訳ありません。あの、俺、こういった教育をずっと受けてきたもので、つい、体が反射で動いてしまうんです。本当に申し訳ありません、花邑様」

何故──?

雪弥はふと生じた疑問を追ったが、それは直ぐに姿を消してしまった。

「ああ、あの兄貴と同じってことな」

陽は強く言いはしなかった。食って掛かるものだとばかり思っていた雪弥は少し拍子抜けをした。

「兄上とは……違います。あ、あの、お詫びに俺が皆さんの食事を用意します」

凪はぱんと手を叩き、自身で会話を途切れさせた。



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