萬処御伽屋覚書〜着物男子と残念女子のゆるゆる繁盛記〜
「どうぞ」


不意に背後から声が聞こえた。

涼しげな、けれど穏やかな声。

顔を上げると、そこには深草色の和服を着た男性が私を見下ろしていた。


声のイメージにぴったりと合う、切れ長の涼しい目元と鼻筋の通った顔立ち。
銀縁の細身の眼鏡がそれを引き立てているようだった。

若い子なら、きっと分け隔てなくイケメンって言うのかもしれない。
でも彼には敢えて「美丈夫」という表現をあてるべきだと思った。


その彼がタオルを私に差し出してくれていた。


思わず赤面してしまいそうな綺麗な笑顔。

私はただお礼を言いたいだけなのに、泣いていて上手く呼吸が出来ないのもあって、しどもどしてしまった。


「あ……ありが、とう」


ずぶ濡れの髪を拭くべきか、涙を拭うべきか一瞬悩んだが、とにかく顔を拭いた。
柔軟剤の甘い香りが嬉しかった。


「雨、しばらくやみそうもありませんし、良かったら中で休んでいかれませんか?」


柔らかい口調で彼は切り出した。

中……彼から目線を動かすと、背後に藍染めののれんが見えた。

右下の一部に白抜きされた、三日月の中に一輪の桜が咲く家紋のようなマークと
「御伽屋」と同じく白抜きされた文字があった。


何のお店だろう……


何も答えずにぼんやりとしている私の手を、彼は半ば強引に引いた。


「温かいお茶でも用意しましょう」

「え……そんな、申し訳ないですから」


慌てて断ろうとする私にポソリと彼は呟いた。


「そこで泣かれてると邪魔なんですよ。察してください」


ちょっと待て。
じゃあお言葉に甘えますけどね!
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