廓にて〜ある出征兵士と女郎の一夜〜
『あんた、ほんまに逃げる気かね』
『今度は足がつかないように気をつけるさ』
『親、兄弟は無事かい?』
『……親?親がオレを売ったのさ。血が繋がった実の母親がね』
お陽は言葉を失った。相槌を打つ代わりに悟の胸に強く額を押し付けた。
『育ての親父は、気にいらなければいつもオレを殴った。
オレの逃避グセは親父から逃げることから始まったんだ。
中学に入るまでに、色々思案に思案を重ねて、ある日風呂敷包みひとつ抱えて船に乗った』
『船に?家を出て漁師にでもなったのかい?』
『違うよ。中学生で青島(中国のチンタオ)に密航した』
『み、密航!?』
悟はシィィと人差し指をお陽の口元に当てた。
『それほど、つらかったのかい?母さんは庇ってくれんかったの?……まあ軍に息子を売るくらいじゃからねぇ……ひどい親じゃ』
お陽は自分の幼い頃の思い出を重ねていた。
封印していたツラい過去。岸に波が打ち寄せるように次から次へと蘇る。