廓にて〜ある出征兵士と女郎の一夜〜
『天皇陛下……人は神様だとか天子様だとかいうけれど。
あたいは学がないけえね。
どれだけ偉い人かも知らんし、なんでその人のために国のみんなが力を合わせて戦わんにゃいけんのか、さっぱりわからん。
自分が食えなくても、天皇様はいい飯食っとるよ。たぶんね。
あんたとあたいだけの秘密だよ。
非国民だと袋叩きじゃけぇ。
それで、それで?
徴兵検査はあんたなら甲種じゃろ?』
悟は強張った笑顔を浮かべ、お陽の髪を撫でた。
『徴兵検査のついでに、妻を連れて実家に立ち寄った。
妻のたっての希望でね。
女なら当たり前かもしれないが、夫の家族にも嫁として認められたかったのだろう。
だが、実家はすっかり他人の家のようだった。
いない間に生まれた赤ん坊には泣かれ、兄弟はオレを蔑んだ目で見る。
母親は久しぶりに見るオレを厄介もの扱いだ。
親父は酒を呑んだくれて妻に会おうとしない。
妻はこんなはずではなかったと思ったに違いないさ』
悟に召集令状が来たのは大阪に戻って直ぐのことだった。
母親から『赤紙が来た。すぐ戻れ』との電報が届き、悟の全身からは血の気がひいた。