廓にて〜ある出征兵士と女郎の一夜〜
『遊んでいかん?ねぇ〜おにいさん』
木の格子の隙間から伸びる白い手は、
悟を誘っていた。
『ねぇ〜兵隊さん。よくしてあげるけぇ。遊んでいきんさい』
広島の言葉で、数々の遊女が誘い、手を伸ばす。
悟はその手に身を強張らせた。
彼自身、どうしてだかわからないが、どうしても白粉の塗られた美しい手をひとつ取る気にはなれなかったのだ。
気がつくと、仲間はみな廓の中に消えてしまい、自分一人が取り残されていた。
咄嗟に【逃亡】という言葉が脳裏をかすめる。
川に身を投げ、死んだように装うことはできないか?
別の船で密航し、どこか人目につかない場所で一人ひっそり生きていけないだろうか……
俯いて策を練っているところに、艶のある声が話しかけてくる。
『兵隊さん、兵隊さんってばぁ』
悟はハッと我に返り、声のする方を見た。
古びた遊郭の軒下に、一人の女の姿があった。
肌襦袢に、赤い古びた着物を肩から引っ掛け、キセルを吸っている。
『ねぇ、あんた。頼むよ。寒くてさ、凍えそうなんよ。客取らんと中に入れてもらえんのよ。
すまんけど、客になってくれん?風邪が治ったばっかりでね。
お願いじゃけぇ』
ガタガタと震えるその女郎に、悟は母の面影を感じていた。