廓にて〜ある出征兵士と女郎の一夜〜
静岡歩兵第34連隊。
彼等は地元の中国人や軍隊から、恐れられる存在だった。彼等の軍帽や軍服にある【34】の章を見ただけで取るものも取り合えず逃げ出すくらいであった。
彼等自身も、静岡歩兵第34連隊【静岡連隊】として召集されたことに誇りを持つものが多くいた。
しかし、何故、彼等がそのように恐れられる存在だったのか……
それは劣勢を隠しきれなかった日本軍の、無茶な命令に従わざるを得なかったからである。
大陸打通作戦も、最初の頃は、最前線にいる者にはなるべく良い物資が送られていた。
しかし、昭和十八年頃になると、食料品、物資は前線には補給されることさえ少なくなる。
歩兵も古参の者には、鉄やアルミ製の飯ごう、それに金属製の水筒、武器は小銃、日本刀などが一人ずつ配給されていた。
しかし、悟たち補充兵には、竹筒の水筒、竹の皮で編んだような弁当箱、武器は短刀が二、三人に一本という有り様。銃などは三八式歩兵銃が酷いときには小隊にひとつかふたつという状態だった。
軍の命令は食料品、武器に関しては【徴発】
つまり、支給されず、現地で強制に調達することを強いた。