ジャンクブック
人魚姫
■人魚姫
海の中で悠々と泳いでいた彼女は、退屈そうに岩場に座る俺に近寄ってきた。そうして、大声。
「人魚姫って、知ってるー?」
何となく大きな声で返事をするのは恥ずかしくッて、俺は肯首した。しかし、気にする様子も無く彼女は続ける。
「私ってさー人魚姫なんだー。あんたに会うためにー人間に変えてもらったの」
人魚姫の対価は、美しい歌声だった。彼女の対価は何だったろう。外見か、能力か、頭脳か──枚挙に遑がないな。
考えていると、波が岩場に打ちつけられた。飛沫が顔に掛かる。ああ、まるで彼女に怒られたみたいだ。ぶさいくな顔を更にぶさいくにして。
わたしのどこがいけないのよっ!
「だから、私、泡になっちゃうんだ」
想像の中の怒った彼女と、目の前の柔らかく微笑む彼女。温度差に一瞬だけ固まって、瞬きをする。
白い肌を伝う水。儚げな指先。赤くふっくらとした唇。低い鼻に、ぽっちゃりとした体。理想的とは言い難い容姿。
人魚姫は美しい、か。
悲しいことに愛されなかった彼女は、だから、泡になったのだ。
「俺がいるから。
だから、おまえは、泡にはなれねえよ」
俺が言葉を吐き捨てれば、彼女は餌を見つけた子犬のように俺を見つめた。それから笑って、照れて、泣いた。鼻水垂らして子供みたいに、わんわんと泣いた。
ぶさいくだなあ、と言ってやれば、汚い罵倒が返ってくる。ぶさいくな顔で、ぶさいくな言葉を。それでも俺は思ったんだ。
人魚姫は美しい。
確かにそうだ。うつくしい。