紫陽花ロマンス
本当に馬鹿正直な人。
半ば押し付けられた紙切れを受け取って、まじまじと眺めながら思った。こんなのを渡して、悪用されるとか思わない?
「あ、もしかしたら仕事中出られないことがあるかもしれないけど、夜八時……いや、九時以降なら絶対に大丈夫だから」
と、付け加えるあたり信じられない。普通は見ず知らずの女性に対して、そんな事言ったりしないだろうに。
受け取った紙を手に、呆れる私に彼はまた穏やかな笑顔を見せる。少し恥ずかしそうちも見える彼の向こう側、白く霞んでいた視界が僅かに明るくなっている。
そうだ、こんな事をしている暇はない。早く帰らなければ。
「よかったら僕の傘使ってよ、濡れちゃうといけないから……」
さらに彼は自分の傘を渡そうとするから、全力で断った。
「いいえ、要らないです。では、急いでいるので」
今度こそ、私は逃げるように改札口へと駆け込んだ。
たぶん……いや、きっと連絡なんてしないだろうと、渡された紙をくしゃりと握り締めて。