紫陽花ロマンス
ところが、予想していた音は聴こえない。
そろそろ落ちていてもおかしくない。
時間が止まったのか……
そっと目を開けてみた。
滲んだ視界に映ったのは、黒いスニーカーにカーキ色のハーフパンツ。ゆっくりと私の方へと歩み寄ってくる。
顔を上げていくと、白い半袖のシャツの袖から覗いた逞しい腕。その手には、私のバッグが揺れている。
どくんと胸が鳴った。
ざわめき始めた胸は、目を擦った手が離れて間も無く鎮まっていく。
「はい、前かごに網付けた方がいいよ」
バッグを差し出して、柔らかに微笑む男性。
黒縁の眼鏡の向こうの目を細め、黒いキャップの裾から覗いた焦げ茶色の髪を涼しげにそよがせて。
「ありがとうございます」
バッグを受け取って、ぺこりと頭を下げた。
「どういたしまして」
会釈して男性は去っていく。
オレンジ色の自転車に跨って颯爽と。