紫陽花ロマンス
あれは……
折り畳み傘を壊した彼だ。
気づくのと同時に、彼が振り向いた。
こんな時に限って信号はタイミングよく青に変わり、彼が横断歩道を渡ってくる。私の方へと。
「この前はすみませんでした」
透き通る声が、まっすぐ私に投げ掛けられる。申し訳なさげな顔で会釈する彼が、頭を上げる前に俯いた。
嫌だ、汚い顔を見られたくない。
「いいえ、こちらこそ、すみませんでした」
「あの、傘は?」
彼が遠慮がちに尋ねる。
「もう買ったので、気にしないでください」
とっさに嘘をついた。
本当はまだ買っていないのに。手短かに済ませて、早くこの場を去りたかったから。
「そうですか……」
力ない声がこぼれ落ちてくる。
そっと顔を上げたら、鼻先に何かが弾ける感触。
「あ、雨だ」
彼が空を見上げた。
いつの間にか、空は真っ黒な雲に覆われている。次々と舞い降りる大きな滴は勢いを増すばかり。
大粒の雨に追い立てられて、私たちは近くのカフェの軒下に避難した。