紫陽花ロマンス
だけど彼は、そんなこと覚えていない風に微笑んでいる。
まさか本当に忘れているはずはあるまい。忘れてほしいのが本音だけど。
今さら何をしに来たというのだろう。
傘は買ったと言ったから、もう用はないはず。少なくとも、私は彼に用はない。
それなのに……
彼の真意が、さっぱりわからない。
「すみません、今日は急ぐので……それに、もう傘は買ったので結構です。ありがとうございました」
困惑しながらも深く頭を下げた。失礼のないように、できるだけ丁重に。断る意志を強調して。
頭を上げたらすぐに、速足で歩き出す。彼の返事を聞かないように、彼と目を合わせないように。
売り場に溢れるお客さんをかいくぐり、売り場の奥にある従業員専用の通用口へと一目散に逃げ出した。
捕まってなるものか。