紫陽花ロマンス
「ちょっと待って」
慌てて引き止める彼の声が背後から投げ掛けられるけど、聴こえてないふりをしてひたすら歩く。
本当は走り出したいぐらいだけど走らないのは、売り場で走るのは禁止されているから。
すぐ真後ろに、彼が迫ってくるのがわかる。
いったい何なの?
私の弱みにつけ込むつもり?
いい人だと思っていた。
でも本当にいい人かどうかは、私なんかにわかるはずない。
そんな彼に、簡単に弱みを見せてしまった私が悪いのかもしれない。
悪い方向にばかり、考えてしまう。
通用口の前、立ち止まって売り場を振り返る私の前に彼が回り込んだ。
「待って、僕でよかったら話し相手ぐらいにはなれるから、聞くことぐらいしかできないけど、抱え込まないで話してよ」
半ばまくし立てるような口調。
だけど、胸に染みてくる。
「ありがとうございました」
口角を上げて、背筋を伸ばして一礼した。売り場に向けて。
通用口へ駆け込む私の耳に、彼の声がいつまでも残響していた。