Drive
第四章 穴瀬|飽和
4-1. 退屈
この夏誕生日が来て三十歳になった。新卒で高級車ディーラーのANASEに就職して7年だ。両親も数少ない友人達も穴瀬をよく知っている人は皆事務職や公務員が向いているのではないかと言った。でも、毎日同じ人と何時間も時間を共にしなければいけない煩わしさを思うととてもそんな気持ちになれなかった。ある程度自由が利く外回りの仕事がしたい、とその時の穴瀬は考えたのだった。思えば大学の就職課でANASEの求人票を見た時改めて同じ名前だなあと思ったあの一瞬、彼のその後が決まったのだった。
森川に出逢ったのは穴瀬が大学3年生の夏休みで、就職活動を始めた友人達と飯を食いに行こうと言ったとき、何か縁の廻り合わせでそこに森川がいたのだった。その頃森川は一流会社の開発部で企画の仕事をしていた。着慣れない就職活動のスーツを着た友人達の中で、腕まくりをしたワイシャツ姿の森川はとても凛々しく魅力的だった。サークル活動や就職活動で日に焼けた友人達、いつもビルの中で仕事をしている森川。どちらかと言えば、友人達の方が野性的に見えたはずなのに、森川は安いパスタ屋のテーブルの角席にいて、大人になってしまえばいくらも変わらない年齢差を圧倒的に見せることに成功していた。そしてその後、森川とは友人を交えて何度がご飯を食べたりして、そのうちに二人きりで会うようになった。
サラリーマンはつまらない、と森川は言った。それは、森川が26歳とか、27歳とかの頃だったと思う。穴瀬は就職したばかりだった。不慣れな仕事に振り回されていた穴瀬は気だるいベッドの上で、そんなものだろうか、とだけ思ったのを覚えている。森川は大体、愚痴っぽいことは言わない。その時もただの感想とか事実を言ったまでという様子だったはずだ。でも、多分、あの頃に森川はもうすでに独立する事を考えていたはずだった。
森川の30歳の誕生日に新宿のホテルの最高階にあるレストランに行った。そして高いシャンパンを開けて「起業祝いだ」と言った。あの時の清々した笑顔を今もはっきりと覚えている。あの夜、あのホテルのスイートに泊まって、何もなかった。二人きりで逢うようになって、そういう関係が出来てから初めて、そしてたった一度、何もなかった夜だった。
サラリーマンはつまらない、だろうか?ノルマを課せられた毎日。淡々と黙々とできることをやる。ノルマを超えられる月もあるし、届かない月もある。集中できる日があってぼーっとする日がある。テンプレートを弄って何枚も作る見積書。上司に相談しながら操作する売上伝票。ぶっきらぼうに頼むDMのリスト。無愛想に飲むお茶。つまらなそうに振舞う歓迎会、壮行会。逢瀬の為に定時に仕事を終える月に一度の夕方。
やりたいことなんか何もない。面倒に巻き込まれないように、それしか考えてない。この7年間、つまらないなんて思いもしなかった。サラリーマンがつまらないなんて、どうして森川は思ったんだろう。
繰り返す毎日がつまらないというのなら、あるいは、報われない事がつまらないというのなら、どうして森川は、穴瀬を抱き続けるのだろう?
(こんなに、つまらない男・・・)
隣の部屋でシャワーを使っているのは、森川だろうか、石岡だろうか。
遠く、潮騒が聞こえる。