イチゴアメ
ブルームーン
1
赤いライトに黒い壁と天井。
ライトに照らされて派手なステージ衣装に身をつつみ、床を振動させる程の爆音の中でギターを掻き鳴らす彼を見ていた。
演奏をしながら、音楽に合わせて華麗に動く赤い髪した彼を見ていた。
黄色い声と拳を振りかざす多くの女の子たちの中から、彼に少しでも近づきたくて背伸びをして彼を見ていた。
そんな彼のパフォーマンスもやがて終わり、ステージの奥へと帰っていく。
なんだかそれが切なくて。
なんだかそれが悲しくて。
彼の名を呼んでも、周りの女の子たちの黄色い声と歓声に混ざって。
私の声は、ステージから引っ込む彼には届かない。
指折り数えて楽しみにしていた今日も、もう終わった。
正確な時間としてはまだ今日もあと数時間残ってはいるのだが、私の楽しみにしていた今日は終わった。
彼のライブが終わった。
一瞬真っ暗になったライブハウス。
すぐにオレンジ色の灯りが天井からたくさん降ってきて、辺りは明るくなる。
周囲に居る女の子たちの発する雑音は、先ほどまでの爆音と異なり、少しだけ遠くに感じた。
どこかで誰かが始めた、アンコールを強請る声。手拍子。それから友達と来た誰かがその友達と話す声。
私はライブハウスの熱気で額に滲んだ汗を、学生服の長袖シャツの袖で拭った。
会場内に「今日の公演は全て終了しました……」というアナウンスが流れる。
どこからともなく湧き上がった、アンコールを強請る声が止まり、手拍子も止まる。
ライブハウスの中から出入り口へと続くドアへと、会場に居た女の子たちが流れを作ってゆく。
その流れに私も乗った。
かっこよかったねー。楽しかったねー。などと言い合う女の子たち。
視界を埋め尽くす程の、同世代の女の子がたくさんいる中で、私に声をかけてくれるひとはいない。
好きなバンドのライブに一緒に来てくれるような友達は私にはいない。
学校のクラスメイトは、私と同じようにバンドのライブに行くようなコは居ない。
私が好きなのは、いわゆるヴィジュアル系バンドっていうやつで。
うちのクラスにはヴィジュアル系バンドが好きというコは一人もいない。
学校では、気持ち悪い。と、誰かに言われてから、私はヴィジュアル系バンドの話を一切しない。
そうするとクラスメイトとはたいして話すこともなくなった。
広いライブハウスの小さな出入り口。
そこに向かうひとの流れに乗っていくと、やがて私も外に出た。
見えた外はもう真っ暗。
ライブハウスに入る前は降っていなかったはずの、大粒の雨が降り注いでいた。
そのためか、ほんのちょっと屋根のある出入り口付近は大混雑。
折りたたみ傘をバッグから出すひと。傘を開くひと。雨宿りをするひと。
目の前は大混雑でも、後ろはまだまだ多くのひとが流れ出てきて。
おしくらまんじゅう状態。
前に進めないのに、見えない背後からどんどん押される。
押されても前には進めず。
どうしたものかと思った矢先。
「きゃっ!!きゃっ!わっ!」
背後から誰かの叫び声がして。
背中から衝撃。
体のバランスを崩して膝をついた私の上に、倒れこんできた誰かが私の背中に乗り上げ、私は正座になって鼻先をひざ小僧にぶつけた。
「マミさん!!」
「大丈夫!?」
「マミちゃん、うわっ大変!!」
「後ろ下がってー!」
「みんな一歩づつ後ろ下がってください!会場の前にたまらないでください!」
「後ろ下がってー!前あけてー!」
私の上に倒れこんできたひとのそのまた上の方から張り上がった大きな声が何人か分。
チームワークなのかなんか連携なのか、少しづつ混雑していた空間に隙間ができてきて、私の背中から滑り落ちた誰か。
「マミさん平気ですか?」
「大丈夫?怪我してない?」
私の上から滑り落ちた誰かを心配する声。
背中が軽くなったので、上体を起こすと私より少し年上に見える女の子が私のすぐ脇に倒れこんでいた。
その女の子の頬には擦り傷ができ、うっすらと血が滲んで見える。
怪我した女の子は、誰かが差し出した手を取り体を起こして。
「ごめんなさい!大丈夫?」
と、私に言った。
大丈夫じゃないよ!と内心思ったが、ライブハウスへライブを見にきて、初めてひとに声をかけられたので、少し驚いてしまった私。
声をかけてきた相手の顔を、無言でマジマジと見てしまう。
「本当にごめんなさい。立てる?」
そう言って、頬に傷を作った女の子は私の手首を持ち立ち上がった。
私は正座をしたままなので、掴まれた手首を引っ張られる形となる。
呆然と私の上に倒れてきたひとを見上げると、彼女の友達なのか数人の女の子たちも彼女の周りから私を見た。
「マミさん、いつもの店に動きますか?」
頬に傷を追った女の子のすぐ横に立つ、金髪と黒髪に髪を塗り分けて派手な化粧をしたいかにもヴィジュアル系バンド大好きですといった風体の女の子が、マミさんと頬に傷を追った女の子を呼んだ。
マミさんと呼ばれた彼女はそれに頷き、「うん。ミオがみんな連れてっといて。」と言う。
ミオと呼ばれた派手な髪の毛をしたコは頷いて、私を囲うみんなをどこかへと先導してゆく。
一人残ったマミさんとやらは、私の前にしゃがみこんだ。
すると私たちを避けるようにして、ひとがまた流れ出す。
「立てるかな?どこか痛い?」
私の前にしゃがみ込んだ彼女は私の顔を覗き込むようにして尋ねた。
背中も痛いし正座したままの膝下も痛い。体の上にもう一つの体が乗っかって押しつぶされたのだから痛くて当たり前だ。
なに当たり前なことを聞いてくるのだろうか?と、腹が立ったが、見るからに私より年上だろう彼女にそう言うのもなんだか気が引ける。
きっと、彼女だってわざとではない。
だから何も言わずに立ち上がって見せた。
私の真ん前にしゃがみ込んだ彼女の目の前には、私の膝こぞう。
「怪我してるじゃない!ごめんね。本当にごめんなさい。」
真下から言われて、腰をかがめた。
言われて見て気づく程度の擦り傷が、私の膝にできていた。
ハイソックスをはいていたおかげで膝にだけできたのであろう擦り傷。
雨に濡れた路上のせいで濡れたハイソックスの方が気持ち悪くて気になる程度の軽い擦り傷だった。
「本当にごめんね。」
何時も謝る彼女は、申し訳ないような表情をして私を見上げてから立ち上がる。
「歩ける?」
そう聞いてきた彼女に、小さく頷き返して見せると、彼女は安心したように微笑んで。
ライブハウスから流れ出すひとの波にのって歩き出した。
ここにこのまま立ち止まるわけにもいかないので、私も彼女の半歩後をついていくように歩き出す。
大粒の雨が、髪を肩を額を濡らした。
「歩けてよかった。」
肩にかけた大きなバッグから、折りたたみの傘を取り出して広げはじめたマミさん。
「傘、持ってないの?一緒に入ろう」
そう言いながら、広げた傘へ私を入れてきた。
「あの。……ありがとうございます。」
口を開き、礼を言うとマミさんは私に歩幅を合わせて、二人並んだ。
「やっと喋ってくれた。ライブお疲れ様。一人で来たの?」
やっと喋ってくれたと私に言うマミさん。これが、バンドのファンの女の子との初めての会話だ。
もしかしたら、ライブに一緒に行く友達を作るチャンスかもしれない。
そう気づくと、急に照れ臭くなり頷く事で彼女に返事を返すことで精一杯だった。
「そっかぁ……。夕飯、これからみんなで食べるけど一緒に来る?」
隣を歩くマミさんは、私にそう告げた。
本当に友達を作るチャンスかもしれない!!そう思った私は、彼女に頷き返すことしか出来なかった。
ライブを見て、誰かとご飯をしながら好きなバンドの話をするという、私にとってやってみたい事ができるかもしれない。そう思うと、照れ臭いにプラスしてなんだかドキドキしてしまう。
いつもの私にはない感覚に、少し驚きながらの大きな期待。
そんな感情に胸を踊らせて、傘をさしかけてくれるマミさんの隣を歩いてゆく。
チラリと隣を歩くマミさんを見る。
長めの前髪を傷のある頬の方に寄せた顔。
私の膝の擦り傷と違い、血の滲むそれを隠しているように見えた。
「お疲れ様です。」
「マミさん、お疲れ様です。」
丁度通りがかった女の子に、挨拶をされる彼女。
「お疲れ様。」とだけ言って大きなバッグを肩にかけた方の傘を持たぬ手元を、傷のある頬を隠すのように、また、それを誤魔化すように、マミさんは前髪を押さえる仕草をした。
それを見て、私は、傘をさしかけてくれる彼女の手から傘を取り握る。
私の行動を察したのか、マミさんは傘の枝を手放した。
「明後日もいる?よろしくね。」
話しかけてきた女の子に、そう声をかけたマミさん。
「はい。」
「お願いします。」
マミさんの言葉に答える女の子。
友達の多いひとなんだな。と、マミさんを見ながら思う反面、なんだか少し上から目線の事を言うひとなんだな。とも思う。
今、マミさんと話しているのは女の子というよりは女性と言うべき年齢に見える。
私には姉が二人居て、一番上の姉とは10歳違う。そんな姉と同世代に見える女性に、それよりはだいぶ下の年頃に見えるマミさんが少し横柄な態度に見えた。
「ここにみんないると思うから。」
そう言って、マミさんが立ち止まったのはライブハウスから最寄り駅へと向かう途中の、お蕎麦屋さん。
昔からここにあります古い店です。と建物が言ってるような、そんなお店。
学生服姿の私も、赤い文字で雑誌名が印刷されたファッション雑誌の表紙を飾りそうな清楚で可愛らしいワンピースを身に纏った風体のマミさんにも、少し似つかわしくないように感じる。
夕飯と言っていたので、ファミレスやファストフード店か何かに行くのだろうと思っていた私は、拍子抜けしてしまった。
さしていた折りたたみの傘を閉じながら、ガラガラと音を立てて木の引き戸を弾くマミさんは、「こんばんはー」なんて言いながらお店へ入っていく。
なんだかしっくりしない気持ちを抱えたまま、私も後に続いた。
店内はカウンターだけで、年期の入った佇まい。
傷つき色もまばらになった木製のカウンターに、私のおじいちゃん位の年代の男性が数人座っている。
「上、ですか?」
お店の店員さんらしい、またそれも私のおじいちゃん位の年齢のおじいさんにマミさんが尋ねる。
頑固親父が年を重ねて丸くなった風な少し強面のおじいさんは、ただ黙って頷いた。
カウンターだけの細長い店内を真っ直ぐ進んでゆくマミさんに、私はついてゆくしか他に選択肢も思いつかないので、マミさんの後を追う。
お蕎麦屋さんなのにお蕎麦を食べるではなく、日本酒を飲んでいる様子のおじいちゃんなお客さんたちの後ろを通り、カウンターのはじまで来ると、マミさんはその先の暖簾をくぐった。
暖簾の向こうには、「お手洗い」と書かれたプレートのついたドア。
その脇に伸びる細く急な階段を登り始めたマミさんの後を追って、私も階段に足をかけた。
ギシっと木が軋む音を立てる階段を登り、その先にはまたも不思議なというか違和感ばかりの光景。
6畳ほどの畳の部屋に3つのちゃぶ台。
1つのちゃぶ台は荷物置き場扱いなのか、たくさんの色とりどりなバッグやリュックやショップ袋なんかがきちんと整列して並んでいる。
あとの2つのちゃぶ台にはと5人と5人に分かれて座った女の子たち。
みんなこの空間に違和感を感じるような、イマドキのオシャレをしたコたち。
先ほどマミさんにミオと呼ばれていた金髪と黒髪のツートンヘアーのコも居た。
ライトに照らされて派手なステージ衣装に身をつつみ、床を振動させる程の爆音の中でギターを掻き鳴らす彼を見ていた。
演奏をしながら、音楽に合わせて華麗に動く赤い髪した彼を見ていた。
黄色い声と拳を振りかざす多くの女の子たちの中から、彼に少しでも近づきたくて背伸びをして彼を見ていた。
そんな彼のパフォーマンスもやがて終わり、ステージの奥へと帰っていく。
なんだかそれが切なくて。
なんだかそれが悲しくて。
彼の名を呼んでも、周りの女の子たちの黄色い声と歓声に混ざって。
私の声は、ステージから引っ込む彼には届かない。
指折り数えて楽しみにしていた今日も、もう終わった。
正確な時間としてはまだ今日もあと数時間残ってはいるのだが、私の楽しみにしていた今日は終わった。
彼のライブが終わった。
一瞬真っ暗になったライブハウス。
すぐにオレンジ色の灯りが天井からたくさん降ってきて、辺りは明るくなる。
周囲に居る女の子たちの発する雑音は、先ほどまでの爆音と異なり、少しだけ遠くに感じた。
どこかで誰かが始めた、アンコールを強請る声。手拍子。それから友達と来た誰かがその友達と話す声。
私はライブハウスの熱気で額に滲んだ汗を、学生服の長袖シャツの袖で拭った。
会場内に「今日の公演は全て終了しました……」というアナウンスが流れる。
どこからともなく湧き上がった、アンコールを強請る声が止まり、手拍子も止まる。
ライブハウスの中から出入り口へと続くドアへと、会場に居た女の子たちが流れを作ってゆく。
その流れに私も乗った。
かっこよかったねー。楽しかったねー。などと言い合う女の子たち。
視界を埋め尽くす程の、同世代の女の子がたくさんいる中で、私に声をかけてくれるひとはいない。
好きなバンドのライブに一緒に来てくれるような友達は私にはいない。
学校のクラスメイトは、私と同じようにバンドのライブに行くようなコは居ない。
私が好きなのは、いわゆるヴィジュアル系バンドっていうやつで。
うちのクラスにはヴィジュアル系バンドが好きというコは一人もいない。
学校では、気持ち悪い。と、誰かに言われてから、私はヴィジュアル系バンドの話を一切しない。
そうするとクラスメイトとはたいして話すこともなくなった。
広いライブハウスの小さな出入り口。
そこに向かうひとの流れに乗っていくと、やがて私も外に出た。
見えた外はもう真っ暗。
ライブハウスに入る前は降っていなかったはずの、大粒の雨が降り注いでいた。
そのためか、ほんのちょっと屋根のある出入り口付近は大混雑。
折りたたみ傘をバッグから出すひと。傘を開くひと。雨宿りをするひと。
目の前は大混雑でも、後ろはまだまだ多くのひとが流れ出てきて。
おしくらまんじゅう状態。
前に進めないのに、見えない背後からどんどん押される。
押されても前には進めず。
どうしたものかと思った矢先。
「きゃっ!!きゃっ!わっ!」
背後から誰かの叫び声がして。
背中から衝撃。
体のバランスを崩して膝をついた私の上に、倒れこんできた誰かが私の背中に乗り上げ、私は正座になって鼻先をひざ小僧にぶつけた。
「マミさん!!」
「大丈夫!?」
「マミちゃん、うわっ大変!!」
「後ろ下がってー!」
「みんな一歩づつ後ろ下がってください!会場の前にたまらないでください!」
「後ろ下がってー!前あけてー!」
私の上に倒れこんできたひとのそのまた上の方から張り上がった大きな声が何人か分。
チームワークなのかなんか連携なのか、少しづつ混雑していた空間に隙間ができてきて、私の背中から滑り落ちた誰か。
「マミさん平気ですか?」
「大丈夫?怪我してない?」
私の上から滑り落ちた誰かを心配する声。
背中が軽くなったので、上体を起こすと私より少し年上に見える女の子が私のすぐ脇に倒れこんでいた。
その女の子の頬には擦り傷ができ、うっすらと血が滲んで見える。
怪我した女の子は、誰かが差し出した手を取り体を起こして。
「ごめんなさい!大丈夫?」
と、私に言った。
大丈夫じゃないよ!と内心思ったが、ライブハウスへライブを見にきて、初めてひとに声をかけられたので、少し驚いてしまった私。
声をかけてきた相手の顔を、無言でマジマジと見てしまう。
「本当にごめんなさい。立てる?」
そう言って、頬に傷を作った女の子は私の手首を持ち立ち上がった。
私は正座をしたままなので、掴まれた手首を引っ張られる形となる。
呆然と私の上に倒れてきたひとを見上げると、彼女の友達なのか数人の女の子たちも彼女の周りから私を見た。
「マミさん、いつもの店に動きますか?」
頬に傷を追った女の子のすぐ横に立つ、金髪と黒髪に髪を塗り分けて派手な化粧をしたいかにもヴィジュアル系バンド大好きですといった風体の女の子が、マミさんと頬に傷を追った女の子を呼んだ。
マミさんと呼ばれた彼女はそれに頷き、「うん。ミオがみんな連れてっといて。」と言う。
ミオと呼ばれた派手な髪の毛をしたコは頷いて、私を囲うみんなをどこかへと先導してゆく。
一人残ったマミさんとやらは、私の前にしゃがみこんだ。
すると私たちを避けるようにして、ひとがまた流れ出す。
「立てるかな?どこか痛い?」
私の前にしゃがみ込んだ彼女は私の顔を覗き込むようにして尋ねた。
背中も痛いし正座したままの膝下も痛い。体の上にもう一つの体が乗っかって押しつぶされたのだから痛くて当たり前だ。
なに当たり前なことを聞いてくるのだろうか?と、腹が立ったが、見るからに私より年上だろう彼女にそう言うのもなんだか気が引ける。
きっと、彼女だってわざとではない。
だから何も言わずに立ち上がって見せた。
私の真ん前にしゃがみ込んだ彼女の目の前には、私の膝こぞう。
「怪我してるじゃない!ごめんね。本当にごめんなさい。」
真下から言われて、腰をかがめた。
言われて見て気づく程度の擦り傷が、私の膝にできていた。
ハイソックスをはいていたおかげで膝にだけできたのであろう擦り傷。
雨に濡れた路上のせいで濡れたハイソックスの方が気持ち悪くて気になる程度の軽い擦り傷だった。
「本当にごめんね。」
何時も謝る彼女は、申し訳ないような表情をして私を見上げてから立ち上がる。
「歩ける?」
そう聞いてきた彼女に、小さく頷き返して見せると、彼女は安心したように微笑んで。
ライブハウスから流れ出すひとの波にのって歩き出した。
ここにこのまま立ち止まるわけにもいかないので、私も彼女の半歩後をついていくように歩き出す。
大粒の雨が、髪を肩を額を濡らした。
「歩けてよかった。」
肩にかけた大きなバッグから、折りたたみの傘を取り出して広げはじめたマミさん。
「傘、持ってないの?一緒に入ろう」
そう言いながら、広げた傘へ私を入れてきた。
「あの。……ありがとうございます。」
口を開き、礼を言うとマミさんは私に歩幅を合わせて、二人並んだ。
「やっと喋ってくれた。ライブお疲れ様。一人で来たの?」
やっと喋ってくれたと私に言うマミさん。これが、バンドのファンの女の子との初めての会話だ。
もしかしたら、ライブに一緒に行く友達を作るチャンスかもしれない。
そう気づくと、急に照れ臭くなり頷く事で彼女に返事を返すことで精一杯だった。
「そっかぁ……。夕飯、これからみんなで食べるけど一緒に来る?」
隣を歩くマミさんは、私にそう告げた。
本当に友達を作るチャンスかもしれない!!そう思った私は、彼女に頷き返すことしか出来なかった。
ライブを見て、誰かとご飯をしながら好きなバンドの話をするという、私にとってやってみたい事ができるかもしれない。そう思うと、照れ臭いにプラスしてなんだかドキドキしてしまう。
いつもの私にはない感覚に、少し驚きながらの大きな期待。
そんな感情に胸を踊らせて、傘をさしかけてくれるマミさんの隣を歩いてゆく。
チラリと隣を歩くマミさんを見る。
長めの前髪を傷のある頬の方に寄せた顔。
私の膝の擦り傷と違い、血の滲むそれを隠しているように見えた。
「お疲れ様です。」
「マミさん、お疲れ様です。」
丁度通りがかった女の子に、挨拶をされる彼女。
「お疲れ様。」とだけ言って大きなバッグを肩にかけた方の傘を持たぬ手元を、傷のある頬を隠すのように、また、それを誤魔化すように、マミさんは前髪を押さえる仕草をした。
それを見て、私は、傘をさしかけてくれる彼女の手から傘を取り握る。
私の行動を察したのか、マミさんは傘の枝を手放した。
「明後日もいる?よろしくね。」
話しかけてきた女の子に、そう声をかけたマミさん。
「はい。」
「お願いします。」
マミさんの言葉に答える女の子。
友達の多いひとなんだな。と、マミさんを見ながら思う反面、なんだか少し上から目線の事を言うひとなんだな。とも思う。
今、マミさんと話しているのは女の子というよりは女性と言うべき年齢に見える。
私には姉が二人居て、一番上の姉とは10歳違う。そんな姉と同世代に見える女性に、それよりはだいぶ下の年頃に見えるマミさんが少し横柄な態度に見えた。
「ここにみんないると思うから。」
そう言って、マミさんが立ち止まったのはライブハウスから最寄り駅へと向かう途中の、お蕎麦屋さん。
昔からここにあります古い店です。と建物が言ってるような、そんなお店。
学生服姿の私も、赤い文字で雑誌名が印刷されたファッション雑誌の表紙を飾りそうな清楚で可愛らしいワンピースを身に纏った風体のマミさんにも、少し似つかわしくないように感じる。
夕飯と言っていたので、ファミレスやファストフード店か何かに行くのだろうと思っていた私は、拍子抜けしてしまった。
さしていた折りたたみの傘を閉じながら、ガラガラと音を立てて木の引き戸を弾くマミさんは、「こんばんはー」なんて言いながらお店へ入っていく。
なんだかしっくりしない気持ちを抱えたまま、私も後に続いた。
店内はカウンターだけで、年期の入った佇まい。
傷つき色もまばらになった木製のカウンターに、私のおじいちゃん位の年代の男性が数人座っている。
「上、ですか?」
お店の店員さんらしい、またそれも私のおじいちゃん位の年齢のおじいさんにマミさんが尋ねる。
頑固親父が年を重ねて丸くなった風な少し強面のおじいさんは、ただ黙って頷いた。
カウンターだけの細長い店内を真っ直ぐ進んでゆくマミさんに、私はついてゆくしか他に選択肢も思いつかないので、マミさんの後を追う。
お蕎麦屋さんなのにお蕎麦を食べるではなく、日本酒を飲んでいる様子のおじいちゃんなお客さんたちの後ろを通り、カウンターのはじまで来ると、マミさんはその先の暖簾をくぐった。
暖簾の向こうには、「お手洗い」と書かれたプレートのついたドア。
その脇に伸びる細く急な階段を登り始めたマミさんの後を追って、私も階段に足をかけた。
ギシっと木が軋む音を立てる階段を登り、その先にはまたも不思議なというか違和感ばかりの光景。
6畳ほどの畳の部屋に3つのちゃぶ台。
1つのちゃぶ台は荷物置き場扱いなのか、たくさんの色とりどりなバッグやリュックやショップ袋なんかがきちんと整列して並んでいる。
あとの2つのちゃぶ台にはと5人と5人に分かれて座った女の子たち。
みんなこの空間に違和感を感じるような、イマドキのオシャレをしたコたち。
先ほどマミさんにミオと呼ばれていた金髪と黒髪のツートンヘアーのコも居た。