恋するマジックアワー
「おかえりなさい。 今日ははやいんだね」
そういうと、洸さんは分厚い眼鏡を外しながら「ただいま」って笑った。
「相変わらず俺は美術部顧問っていう名前だけだからね。 仕事ない時はない」
肩をすくめた洸さんに、思わず笑ってしまう。
「だけど、学校でもあんなふうに暇そうにしてたらダメだよ? 一応……ほら、先生なんだしさ」
「っはは。 一応ってなんだよ」
「そのままの意味です~」
クイっとネクタイを緩めて、それを無造作に外す洸さんに背を向けてキッチンに戻る。
く……くやしい。
こんな風に何気ない会話してるつもりなのに、勝手に心臓が加速する。
”先生”から”同居人”の洸さんに戻っていくその様に、わたし、悔しいくらいドキドキしてる。
考えないようにして、ボールからひき肉を取り出す。
空気を抜くように手のひらでたたいていると、冷蔵庫から缶を取り出した洸さんが肩越しに覗き込んできた。
「さすが海ちゃん、手際がよろしい」
「っ……!」
もぉ! 近い近い!
背中に洸さんの気配を色濃く感じて、手のひらからひき肉が転げ落ちていく。
洸さん、距離のとり方おかしいんだってば。
「俺の分もある?」なんて無邪気に笑う洸さんを、気づかれないようにジロリと睨んだ。
わたしの気も知らないで……。
洸さんの、ばか……。
「あー……、そういえば今日さ……」
「今日?」
缶のプルトップに指をひっかけた洸さんがふいに真面目な顔になる。
カシュって音がして、それを見つめたままだった洸さんは長い前髪の向こう側からわたしの目を覗き込んだ。
……ドキ
なぜかジッと見つめられる。
まるでなにかを探るようなその視線にいたたまれなくなっていく。
「あの、洸さん?」
たまらず名前を呼ぶと、洸さんはふっと息を吐いてそのままグイっと缶を仰いだ。
「いや、やっぱいいや」なんて言って、自分の部屋に行ってしまったその背中を追いかける。
な、なんだったんだろう……。