ドライアイス
道着に着替えた私は、違和感丸出しの状態だった。
買ったばかりの道着は体になじまない。
成長することを考慮したのか、少し大きめの道着は裾の部分が妙に長かった。
ダボダボの道着に身を包んだことを確認した師範は、天井からつり下げられた重そうなサンドバッグの前まで私を案内した。

「はい、これ手に付けて」

渡されたのは、白いサポーター。
なんですか?これは。

手に付けるものであることは分かるけれど、つけ方が分からず困惑した。
慌てふためいていると、出入り口から今までにないほどの甲高い声が響いた。

「オス!!師範、遅れてすみません!!」

声に驚いてサポーターを床に落としてしまった。
出入り口には、私と同い年ほどの男の子が道着姿で立っていた。

「誰……!?」

少年は師範の元へ駆け寄ってきた。
師範の隣でたじろいでいた私は、とっさに身を隠した。

「師範、コイツ誰?」

それは私が聞きたいの!!
隠れてるのに見つかってるし。

「新しく入った子だよ。リュウとは同い年だ。仲良くしてあげなさい」

リュウと呼ばれた少年は、鋭い目つきで私を見た。
上から下までじろじろと見つめられた私は、師範の足にしがみついた。
リュウの三白眼が怖い。

「これ、やるよ」

持っていたリュックサックから、リンゴ飴を取り出したリュウ。
リンゴ飴は、私の大好物だ。

「リンゴ飴、要らないの?」

「要らないわけないだろ。本当は稽古が終わったら食べるつもりだったんだ」

「じゃあ、食べなよ?」

「これは、お前にやる。だから、そんなところに隠れてないで俺の稽古の相手しろ」

「……なに、それ。どういうこと?」

「俺、背が小さいから、大人相手に組手しても勝てないんだよ。お前が相手なら、多分勝てる」

安直な理由でリンゴ飴をくれるものだなあ。

「稽古の相手をしないなら、このリンゴ飴はやんねえぞ?」

「ま、待って!ちゃんと相手するから、リンゴ飴ちょうだい!」

私が手を差し出すと、白い歯をむき出しにしてリュウはいたずらに笑った。

「やっぱあげない」

むっとして口を膨らませた。
約束が違うじゃない!
黙ったまま視線で「リンゴ飴ちょうだい」と訴えた。
リュウは楽しそうな笑みを浮かべたままだ。

「大丈夫だよ、リンゴ飴はやるよ。だから俺の稽古に付き合え」

リュウがリンゴ飴を手渡してくれた。
屋台でしか手に入らないリンゴ飴は、私にとって貴重な存在。
顔をほころばせて喜びに浸っていたのに、リュウの一言で現実に引き戻された。

「リンゴ飴は稽古の後で食べろ。今は俺の稽古に付き合え」

忘れていた。
リンゴ飴をもらった以上、稽古の相手をしないわけにはいかない。

「床のサポーターつけて。まず構えの練習から!」

「か、かまえ……?」

「構えは後で教えるから、とりあえずそこのサポーターつける!!」

空手の稽古になって、急に厳しくなったような気がするのは私だけ?

「サポーターのつけ方が分からないの……」

「じゃあ、俺がつけ方教えてやるよ」

リュウは細かくサポーターの装着法を伝授してくれた。
悪戦苦闘しながらも、5分ほどでサポーターのつけ方をマスターした。
覚えてしまえば、そんなに難しくはなかった。
サポーターに指を通して、マジックテープの部分をとめればそれでOK。

「なあ、お前の名前はなに?」

「フクヤマヒナ、だよ」

「ひな?ふーん。じゃあこれからお前のことヒナって呼ぶ。俺の名前はハナキリュウタロウっていうんだけど、皆リュウって呼んでるから、ヒナも俺のことはリュウと呼べ」

「何でりゅうたろうなのにリュウって呼ぶの?」

「リュウの方がカッコイイから」

「ふーん」

男の子の気持ちは理解できない。
龍太郎と呼ばれた方がカッコイイと思うのだけど。
リュウという呼び名にこだわりがあるようなので、あえてその話題には触れなかった。

「ヒナ、これからも稽古の相手よろしく!」

差し出された手を、笑顔で握り返した。

「…よろしく」

絞り出すような、小さな声しか出すことができなかった。

リュウは単純に、同じような身長の稽古相手がほしかっただけだろう。
空手での過度な身長差はハンデとなるから。
身長の高い大人の方が、圧倒的に有利なのだ。

リュウがどんな思いで私にリンゴ飴をくれたのかは分からない。
後で知った話だけど、リュウもリンゴ飴が大好物なんだよね。
大好きなリンゴ飴を譲ってくれた気持ち、嬉しかった。
見た目によらず、リュウが優しい人だということは、私がよく知ってるよ。
いつの間にか、リュウは変わってしまったね。
共に成長し、私たちは高校3年生の春を迎えていた。
複雑な気持ちを、抱えながら。
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