山神様にお願い
新しくこの春から山神に入った新人のシカちゃんにも聞かれたけれど、別れを後悔したことはない。多分、それだけの縁だったのだろうって自分で思っていたし。リュウさんには別のぴったりな女性がいるに違いないって思ってるし。
そして、私の名前は勿論ツルなんてものじゃあないのよ。ちゃーんと鶴田瞳って名前があるの。でもこの店は名前に「獣」の漢字が入ってること、っていうのが採用の基準だっていうぶっとんだお店だから、ここでは私はツルって呼ばれてる。
リュウさんだって付き合っているそのちょっとの時期は、私のことを瞳と呼んでいた。それがくすぐったくて、うわあ!って照れたものだった。
瞳、こっち来いよ、って───────────
「・・・あの頃はね」
またつい出てしまった。
パッと顔を上げると、ガッツリとリュウさんと目が合ってしまった。あ、また聞こえたっぽい。
リュウさんがむすっとした顔で、雑誌を棚へと突っ込む。
「こらツル、お前その独り言やめろよ!気になってしゃーねー」
「気にしないで」
「なるんだよ!!」
ちらっとお客さん達の方をみたけれど、誰もこっちのことは気にしてないようだった。おじさん達はいよいよ酔っ払って、何かよく判らない一方通行の会話でゲラゲラと笑い合っている。
私はホールを横切ってカウンターに近づく。それからリュウさんに言ってやった。
「店の中で、大声、だーさーなーいーで」
リュウさんが歯をむき出して、今にも噛み付きそうな顔をした。短気なのよ、この人。