あの日もアサガオが咲いていた。
その瞳こそ絢也が絢也である理由。
それと同時に彼が周りの人間に馴染むことの出来ない理由でもあった。
絢也は同年代の少年たちに比べて、知識を得ることを好んだ。
そして考えることを選んだ。
自分がどうあるべきなのかを。
それは母子家庭という一人の時間が長かった家庭環境の影響もあったが、それ以上に彼の資質的なものなのだろう。
絢也にとって知識を得ることは呼吸をするのと同じこと。
考えることは生きることと同義。
それ故に彼は年齢以上に思慮深い。そして物事を見る目に長けている。
もしも絢也が大人だったなら。
それは才能として高く評価されただろう。
しかし、それが才能であると認められるには彼もその周りもまだ幼すぎた。