幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜
譲は、浪士組の屯所に帰るためには必ず通らねばらない橋の上で待ち伏せをしていた。
橋の柵に背を預けながら腕を組み、静かにその時を待つ。
神経を集中させ、標的の足音が近付いてくるのを待つ。
近藤さんを殺そうとするなんて百年早い。
大事な人を……そう簡単に殺させてたまるものか。
もう何も失わない。もう、二度とあんな想いを味わいたくない。
身に染みている孤独の感情が、譲の感情を荒々しく駆り立てる。
そして……待ちわびていた時が来る。
相手もこちらの存在に気がついたようで、身構えた。
「お前………こんなところで何をしている」
殿内が掛ける声も、今の譲には全て届かない。
譲はゆったりとした足取りで、殿内の前に立ちはだかった。
「あなたの本性……よくわかりましたよ」
吹雪のような冷たい声。
その声は殿内の背筋を凍らせる。
「近藤さんを殺す………? ふふ、冗談じゃない」
渇いた笑い。
殿内は尋常ではない譲の殺気に身の危険を覚え、いつでも引き抜けるように刀に手を掛けながらじりじりと後退する。
「お前……どこでそれを………!!」
「さあ、あんたに答える義理があるの?今から死の末路を辿るあんたに」
譲は刀を引き抜く。
「あんたも知ってるよね。【局中法度】の規律。【士道に背くまじき事】って規律。殿内さん、法度を破った者がどうなるか、知ってますよね」
こつ……と譲は一歩、殿内に近付く。
彼女の冷徹な瞳。感情が殺された声。そして殺気。
これらの全てが殿内に恐怖を起こさせ、刀を握らせる。
殿内は譲に斬りかかったが、あっけなく太刀筋を見切られ、刀を弾かれる。
「まるで子供の素振りですね」
そして鍔迫り合いなり、その間際、譲は殿内の耳元で呟く。
「私を怒らせたことをあの世で十分に後悔するといいですよ」
そう冷たく言い放ち、譲は距離をとり、月明かりを受けた白刃を闇夜に閃光させた。
肉を斬る音がこだまし、やけに耳に残る。
血飛沫を一身に受け、刀からは鮮血がしたたり落ちる。
ぐにゃりと倒れた相手の胸から刀を引き抜き、さっと刀を振ると、橋の柵のあちこちに血糊が飛んだ。
そして、目の前に広がっていく血だまりを、譲は色のない目でただ見下ろしていた。