幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜
「譲………」
譲が自室に戻るために角を曲がり、その背後が完全に見えなくなると、平助は静かに、彼女の名を呼んだ。
消え入りそうな、力のない、弱弱しい声で。
だが、誰もがやるせない思いと脱力感に襲われていた。
左之さんは悔しそうに拳を握り締めているし、しんぱっつあさんも険しそうに眉を寄せて、山南さんもその眼鏡を曇らせている。
源さんは切なそうにまだ譲が歩いた道を見つめているし、斎藤君は、じっと己の刀を見下ろしている。
土方さんは「くそっ」と怒鳴って、壁に八つ当たりしている。
皆は思い思いの感情を露わにしていた。
譲が人を斬った。
今までずっと一緒に衣食住を共に過ごしてきたからこそ、誰よりもひたむきに仲間を大事に思う健気な彼女だからこそ、誰も譲に人を殺してほしくなかった。
今………近藤さんはどんな顔をしているだろう。
平助はとても、近藤の顔を見ることなどできなかった。
だって、自分が近藤さんの立場だったらきっと耐えられないから。
慈しみ、愛し、大事に育ててきた娘が人を斬った。
芹沢さんから聞いた話では、殿内は近藤さんの暗殺を企てていたらしい。
この……浪士組という場所を護るために、近藤さんを護るために、譲は人を斬った。
譲の性格を考えると、きっと………何の躊躇いもなく。
自分を護るために、自分が大切にしてきた娘が刀を振るう。
こんな苦しみがあるだろうか。
残酷にもほどがある。
それにここには、総司はいない。
(あいつ………このことを知ったらどういう反応するかな)
もしかすると、もう譲に会ったのかもしれない。
総司にとっても、これは辛いはずだ。
きっと誰よりも、今まで譲の傍にいたのはあいつだから。
気持ちの整理がつかず、どこかでたそがれているかもしれない。
(俺は………)
どうする?
平助は瞑想した。