幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜
「おお、待っていたぞ!」
そう言う口調は、どこか明るい。
伏せていた顔を上げると、満面に笑みを浮かべた顔がそこにあった。
「お前が総司か?」
「はい……」
ふてくされながら乱暴に返事をすると、姉に頭をぺしっと叩かれる。
「きちんと挨拶しなさい」
少し叱られて、総司はようやくきちんと頭を下げる。
「沖田総司です。よろしく……お願いします」
本当はお願いしたくない。
見れば見るほど、古くて小さい道場だった。
(どうして……僕だけが……)
こんな目に遭わなくちゃいけないのだろうか。
普通に家族と生きることを許されないのだろう。
総司はふと、両親がいなくなってから、近所や周りから言われてきたことを思い出した。
『お前は……可哀相な子やね』
と。
でも、そうやって同情をかけて慰められると、腹がたった。
どうせこの人も、ここの人全員もそう思うに違いない。
「俺は近藤勇だ。よろしく頼むよ、総司」
近藤、と名乗った男は挨拶代わりにそうやってぽんぽんと頭に手をのせてくる。
これも、情け? これも哀れみ?
そんなことを考えていると、肩に重みを感じた。
振り返ると姉が、とても辛そうな表情を浮かべていた。
ここに置いていくのが忍びない、という痛々しげな顔だった。
「元気でね」
姉はそう静かに声をかけると、総司に背を向けて歩きだした。
途中で振り返り、どうぞよろしくというように何度もぺこぺこと頭を下げながら、確実に遠ざかっていく。
ああ。
これで自分は一人だ。
姉上に、捨てられた。
でも、姉を追いかけようとは不思議と思わなかった。
もう、ここで生きていくしかない。
やがて姉の影が町並みに消えても、総司は呆然とそこに立ち尽くしていた。
すると。
道場の敷地内から、風にのって、美しい音色が聞こえた。
心の奥に染み入るようなその響きは、総司を現実に引き戻す。
驚いた様子で近藤を見やると、近藤が笑顔で答えてくれた。
「譲が弾いているんだよ」
「譲?」
「ああ。お前のようにやむを得ずここにいる娘だ」
娘?
娘がこんなところにいるというのだろうか。
しばし、瞬きをしながら信じがたい事実を受け入れようとしていると、近藤がこちらを見て問いかける。
「綺麗だろう?」
「はい」
これは本当に素直に頷けた。
どこまでも透き通っている音色。
この世の虚しさも、全て洗い流してくれるような響き。
弾き手の心がよく表れているようだった。
一体、どんな娘なのだろうか。