幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜
「とんでもないことってなんだ!」
永倉が食いつき、姿勢が前のめりになる。感情の起伏が穏やかな斎藤でさえも、深刻そうな表情で耳を傾けていた。
近藤が喉の奥から声を絞り出す。
「俺は……譲を……この手で殴ってしまった……」
一堂が戦慄する。
予想だにしていなかったことに、誰も開いた口が塞がらなかった。
近藤は譲を殴った手を握りしめる。
「分かってたのに……、あいつが純粋にこの組のことを……俺たちのことを思っていたということに……。
なのに俺は……、命を惜しまないあいつを……」
近藤に声をかける者は誰もいない。
その理由は怒りや同情からではない。
ただ、誰もがどうすることもできず、混乱していたからだ。
深い沈黙の中、土方がことの詳細を話し始めた。
江戸に帰れと言った時の譲の悲壮な顔。
何が至らなかったのかと自責したり、挙句に自分の命など、この組を護るためなら惜しくないと叫んだことも。
話し終えると、部屋はますます重い空気に包まれた。
空気が濁っていくなか、平助が口を割る。
「あいつ……たぶんすげぇ俺たちのことを思ってる。きっと、俺たちが想像している以上に」
その言葉に永倉が頷く。
「俺もそう思うぜ。俺たちは、もっと覚悟しておくべきだったんだ。あいつに人を殺させる覚悟を」
「だがあいつはとっくに覚悟を決めていた。てめえがこんな過酷な状況になるってこともな。結局、覚悟が足りなかったのは、俺たちってわけだ」
土方が厳かに言ったその時だった。
がらりと障子が開かれると、そこには鉄扇を肩に担いだ芹沢が一人でそこにいた。
全員の冷視線を受けながら、芹沢は部屋の雰囲気に鼻で笑う。
「ふん、全員そろって辛気臭い様子だっので、何かと思えばそんなことか」
「そんなこととは、不快ですね」
山南が芹沢を見ながら言うが、芹沢はまったく山南の言葉を聞く耳を持ち合わせていなかった。
「殿内を生かしておれば、いつか手を噛まれていたのは事実の上だ。実際に遊郭で、あいつは近藤くんを殺させてくれと言っていたのだからな。そして、それを聞いていたのが、あの女だ」
あれは実物だったと芹沢は続ける。
「あの時のあの女の殺気、只者ではなかった。このわしも肝が冷えたわ。良きことではないか。花街で士道不覚悟の隊士を見つけ、罰を下した。あいつは、誰よりもこの隊に貢献しておる」
芹沢がギロリと近藤や土方を睨みつける。
「よいか。あやつの覚悟をお前たちのくだらない甘えが揺るがしているのだ。あいつは、お前たちが思っているような世間知らずの娘などではない。お前たちは、今のあやつにとって障害でしかないのだ!」
鉄扇の先を近藤、土方に向け芹沢は一喝する。
そこ言葉に誰も反論できなかった。
「あやつに生ぬるい優しさなど一切不要。そなたたちはあやつを剣にする覚悟がないのだ!この臆病者め!」
散々怒鳴り散らし、芹沢は去っていった。
再び沈黙が降りてくる。