幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜
譲の部屋を後にした総司は、自分の部屋に向かおうとしたが、妙に目が冴えてしまい、どうにも今宵は眠れそうになかった。
しかし、こんな夜更けに行く宛てもなく、総司は再び壬生寺の境内に腰を据えた。
空を見上げると、群青色の空に金銀の星々が輝きを競い合っていたが、爛々と人一倍に輝きを放っているのは他ならぬ月だった。
その冴え冴えとした月が雲に隠れると、総司の表情が翳った。
京の都に来て、色々なことがあった。
でも何より、一番変わってしまったのは譲との関係だ。
以前のような、したたかな関係はもう保てない。
譲は浪士組の剣になると決意し、己の命を懸けて浪士組を守ろうとしている。
彼女は、どうして自分の幸せを考えないのだろう。剣を取らずとも、彼女には幸せな道はあるはずだ。
なのになぜ、譲はあそこまで頑なにこだわって、自分たちを必死に守ろうとするのだろうか。
総司は刀を抜くと、それを空に掲げた。
成人の儀の際、近藤さんがくれた菊一文字の刀。
その美しい刃は腕のある職人が作った証拠。並大抵の者ではこの輝きは実現できまい。
(僕は…………)
どんなことでもしてみせよう。君を守るため、そして君が大事だと思っている浪士組を守るためだったら、どんな卑怯なことでも、どんな汚いことにも手を染めてみせよう。
君が傷つかないように。もう、泣かないように。
だから、どんな感情も情も捨て去ろう。たとえどんなことがあっても、自分は剣になろう。
最強の人斬りであろう。その名を馳せることで、全てを守れるのなら。
総司は瞑目した。
ふと、ある一首が頭をよぎる。
俳句なんて興味がないけれど、土方さんの俳句がどれだけへたくそなのかを知りたくて、過去に一度だけ、百人一首を呼んだことがあった。
そのうちの一つの句が、ぽっと心に浮かんできたのだ。
【かくとだに えはやいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを】
こんなにもあなたを想っているのに、それを言うことができません。
伊吹山のもぐさのように、熱く燃えている私の心なんて、あなたは知らないのでしょうね。
(言えない)
この気持ちを言っても、結果は目に見えている。それに今、譲を困らせるようなことはしたくない。
大切だからこそ、相手を困らせるようなことはしたくない。
(今日はここで寝ようかな)
たまには月夜のもとで眠るのも風情だと、総司は苦笑いした。