ほどよいあとさき
「じゃ、俺が新入社員を引き取りに行ってくるから。……えっと、名簿は……」
相模主任の低い声に、はっと意識が戻る。
いつの間にか俯き、考え込んでいたけれど、どうにか相模主任へ視線を向けて、私は大きく頷いた。
「あ、名簿ならここにあります。新入社員研修の一貫で、私も講義に行ったんですけど、断トツで綺麗な女の子が住宅設計部に配属されていますから、期待して行って来てください。確か、仁科葵さんだったかな」
手にしていた名簿を相模主任に渡しながら、そう言うと。
「へえ。そんなに綺麗な女の子なら、とっくに恋人もいるだろうし、俺には関係ないな」
小さく肩をすくめて相模主任は笑った。
「たとえ恋人がいたって、相模主任なら略奪できるに違いないですよ。どんな女の子でもその整った顔と相模恭汰という名前でいちころです」
「いちころって……。そこまで言うなら、神田さんも、俺と付き合ってみるか?」
「え、いえ、そんな冗談はいいんです」
ぐっと私の目の前に寄せられた相模主任の整った顔に、強張った声をあげた。
「くくっ。どんな女の子でも俺にはいちころ、ってのに神田さんは入ってないん
だよな」
「え、そんな冗談ばかり、いいですよ。私と相模主任なんて、想像もできません
から」
目の前で手を横に振りながら、焦って呟く私に、相模主任は優しい声をかけてくれる。
「俺だって、俺のことを一番に愛してくれる、決して裏切らない女。そして、俺がとことん欲しいと思える女じゃないと、無理だな。相手が神田さんじゃ、たとえ俺が好きになっても好きになってもらえそうにないからな」
「……え、相模主任が……」
「そう。俺が神田さんを好きだとしても、神田さんの気持ちは、結局椎名のものだもんな。
本当、あいつも慎重になり過ぎなんだよな。根回しなんて俺の方が慣れてるんだからいくらでも協力するのに……。きれいごとばっかで……」
「……相模主任?」
相模主任は何かを考えるように、視線をさまよわせている。
きゅっと口元を結んだ様子を見れば、機嫌がいいとも思えない。
普段、どちらかと言えば感情を表に出さない相模主任の飄々としている様子に慣れている私には、目の前で何やらぶつぶつ言っている姿は新鮮だ。
『建築界の至宝』と呼ばれる人も、ただの人であり、ひとりのサラリーマンっだと、身近に感じる。