ほどよいあとさき

あの日、あれだけ傷ついたんだから、今更、椎名主任への気持ちを揺らしたくない。

……歩。

この一年、口にしないまま封印していた名前を心の中で呟いて、そしてその名前を再び吹っ切るように顔を上げた。

一人の夜に、鏡の前で何度も何度も練習した笑顔を浮かべた。

「椎名主任、今日の会議は新入社員研修の成果発表も兼ねてるんですよね」

二人の間に漂っていた、どこか濁っている空気を変えるように明るく呟いた。

ほんの少し震えている声は、必要以上に大きく笑った表情でカバーして、そらしてしまいそうになる視線をぐっと椎名主任に向ける。

私は、もう傷ついていない、と。

そんな気持ちを伝えるように、力を込めて。

「……相変わらず、だな」

「え?」

「いや、いい。それより、今日の成果発表は録画して、社長に渡す予定だから、その手配も」

「昨日のうちに、ちゃんと済ませてあります」

私の気持ちを汲んでくれたのか、椎名主任も当たり障りのない会話へと戻してくれた。

何か言いかけていたように思ったけれど、きっと、気のせいだ。
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