ほどよいあとさき
「さすが、だな。経理部をスムーズに動かしているのは神田達女性事務職の細かい気配りによるって、いつも思う」
「何しみじみ言ってるんですか?私は自分の仕事をちゃんとしているだけですよ?」
「自分の仕事をちゃんとするっていうのが、一番難しいんだ。特に、神田達事務職は表に立つわけでもなく、今みたいに会議室の手配や準備に追われて陰で支えるばかりだ。
思わず手を抜きたくなる時もあるだろうけれど、よくやってるな」
いつの間にか私の横に立った椎名主任は、優しい言葉と視線を私に落とした。
そして、そっと私の頭に置かれた手は、優しく動き、まるで私を撫でてくれるようだ。
「あゆ……あ、いえ、椎名主任」
「後輩の指導も大変だろうけど、もうしばらく、頑張れ」
「もうしばらくって、どういう……」
ふと問い返した私に、何度か首を横に振り、ふっと笑った椎名主任は、体が固まって動けない私をそのままにして階段を上がっていく。
その瞬間、私の頭から離れた彼の手のぬくもりを追いたくて体が震えたけれど、私のそんな気持ちを拒むかのような背中からは、それをしてはいけないと、暗に言われているような気がした。
何度もその背中に駆け寄って、頬ずりするように抱きついた瞬間があったのに、それは夢だったのかと思うような二人の距離を感じる。
『あゆむ』と呼びたくても呼べない、単なる上司と部下という関係に、今日も傷つき泣きそうになる。
カツンカツンと音を立てて上がっていく彼の後姿をじっと見つめながら、私もゆっくりとそのあとを追った。
二度とその背中に抱きつくことも、その腕に抱きしめてもらうこともないんだと、別れてからずっと自分に言い聞かせている重い言葉を再び繰り返す。
未練と言う名の想いを相手に気取られないよう、強くならなければいけないと、心に大きな蓋をした。