ほどよいあとさき
「歩、どこに行くの?」
戸惑う心を隠せないままそう問うと。
「俺の家。一花がいた頃よりも寂しくなった家だ」
「そ、それって……」
「ん?その言葉通りの意味だ。あれだけ毎日のように来ていた俺の家。明日は休みなんだから、帰さない」
「そんな、か、帰ります。もちろん私の家に」
歩に掴まれている手をどうにか振り払おうとするけれど、歩の力に敵うわけもなく、気づけば目の前にはタクシーが止まり、後部座席のドアが開いていた。
「とにかく俺の家に来い。話はそれからだ」
私はタクシーに押し込まれ、続いて乗り込んできた歩にそのまま肩を抱き寄せられた。
その瞬間、私の頭がしっくりと歩の肩に収まったのを感じ、懐かしさと嬉しさで呼吸が止まった。
付き合っていた時、歩の家のソファでこうしていつも私を抱き寄せては頭を撫でてくれた歩。
今も無意識なのだろうけれど、私の頭を指先でつつっと撫でている。
……ずるい。
私がその仕草に弱いって知っているのに。
こうして触れられることに幸せを感じるって、知っているのに。
まるで昨日もおとといも、ずっとこうしていたかのように自然に私を包み込む歩の体温が私の中に染み入る。
歩は、運転手さんに行先を告げた。
耳元近くに聞こえてくるその言葉に交じる吐息が私を震えさせ、告げられた歩の自宅近辺の地名にどきっとする。
歩と別れて以来、近くに行くことすら避けていた場所。
それでいて、何度も行きたいと願った場所だ。
「眠ってもいいぞ。着いたら起こすから」
歩は私を更に抱き寄せて、ほっとしたように息を吐いた。