みどり姫
「有難うございます、兄様……わたくし、きっと、緊張しているのですわ」
そう言って、マーレイはグラスに口を付けた。甘い。夕日を溶かした様な色のこの酒は滋養酒のルタ───子供も病気や祭の際に口にする───を更に果汁で割ったものだ。確かにこれなら、酒とは言えない。
「兄様、皆様がわたくしを、じろじろとご覧になるわ。わたくしは、何かみっともない格好をしているのかしら? 深い色合いの衣装が悪いのかしら? わたくし、自分に似合う物を選んだつもりなのですけれど。でも、社交界にとうにデビューされたような方が数人、深い色合いを選んでいらっしゃるばかりだわ。それとも……地味に過ぎるのかしら?」
赤い頬を更に朱に染めて、マーレイが訴える。その様は、なんと愛らしいのだろう。
マヒトは妹を眩しい思いで見つめた。
僕のマーレイ。
言葉に出さず、胸の内で呼ぶ。
マーレイの衣装は、確かに、パーティだからといって精一杯お洒落をしてきた姫君達に比べては、少し地味に映るかもしれない。しかし、マーレイ自身の美しさを引き立てる衣装だとマヒトは思う。
わずか十歳でこれ程の美しさなのだ。成人した暁にはどれ程美しくなっていることか……想像もできない。
マヒトのマーレイ。
誰よりも何よりも大切な、たった一人の姫。
「みっともなくなどないよ、マーレイ。お前にはその色がよく似合う。薔薇色のドレスも、鮮やかな空の色のドレスも、似合うけれどもね」
マーレイのさらさらした髪を、真珠ピンに気をつけながら、マヒトがもてあそぶ。
マーレイは、何だかとても心が軽くなる。
兄様が側にいて下さると……何と心地良いのだろう。兄様が触れて下さると、何と嬉しくなるものだろう。
「そろそろ行かなくては。お前の側にもっと居てやりたいけれど……誇り高い僕の妹、こんな陰に隠れてないで、出ておいで」
「兄様、有難うございます。わたくし、兄様の妹ですから、大丈夫ですわ」
マーレイの唇から、すらすらと、思いと正反対の言葉が紡がれる。
本当はもっと側に居て欲しい。が、ダラ・スーチェアの王子は妹ばかりにかまけている訳にはいかないと、解っている。
将来の恋人に、王妃になるやもしれない姫君達と親交を交わすこと。それがマヒトの仕事だ。
そして自分は、将来の嫁ぎ先を見つけなくてはならない。
幼いマーレイにも、その自覚がある。
王女としての自覚だ。
婚姻なんてまだまだ先の事のように思えるし、この愛しいダラ・スーチェアを離れたくはない。
だからといって、国内の有力貴族に降嫁すれば、嫁ぎ先の権力が必要以上に増してしまう恐れもある。
それに、両親や兄、そしてアナシアにも、臣下の礼をとらなければならなくない。今までのように気安く喋る事など不可能になる。
いっそ結婚などせずに、ずっとダラ・スーチェアの王女でいたい……というのが、十歳の少女の偽らざる感情だった。
ダラ・スーチエアでは王族も、自由恋愛をし、婚姻を結ぶ。
政略結婚をしなくてはならない程、ダラ・スーチェアは零落もしていなければ、有利な婚姻を結んで版図を広げるといった野心もない。アザルディーン一古い血統は伊達ではない。
シャンタル祭は、その相手を見つける格好のイヴェントでもある。
今、病床にある王妹エアルも、シャンタル祭で恋をし、子を成した。
「わたくし、行きますわ」
空になったグラスを、「有難うございました」と言いながら兄に返すと、ふぅわりと、マーレイは翡翠色のスカートを翻した。スカートのスリットから重ね履きしてある緑色の濃淡のペチコートが幾重にも覗く。そのまま限りなく上品に、そして急ぎ足で柱の陰から進み出た。
その瞬間、わっとそこに視線が集中する。
逃げ出したい───そう思うのは十歳の少女としては当然で。
だがマーレイの矜持が己の弱気を許さない。
唇が柔らかく笑みを刻む。
睫毛をはたはたと泳がせ、マーレイは周囲を見回す。
「マーレイ様、驚きましたわ。どちらにいらっしゃったのかと、わたくし達、思いましたわ。あんな柱の影にいらっしゃったなんて」
そう声をかけたのは何処の国の王女だったか。
次の瞬間、マーレイは興奮した人の群に取り囲まれた。
そう言って、マーレイはグラスに口を付けた。甘い。夕日を溶かした様な色のこの酒は滋養酒のルタ───子供も病気や祭の際に口にする───を更に果汁で割ったものだ。確かにこれなら、酒とは言えない。
「兄様、皆様がわたくしを、じろじろとご覧になるわ。わたくしは、何かみっともない格好をしているのかしら? 深い色合いの衣装が悪いのかしら? わたくし、自分に似合う物を選んだつもりなのですけれど。でも、社交界にとうにデビューされたような方が数人、深い色合いを選んでいらっしゃるばかりだわ。それとも……地味に過ぎるのかしら?」
赤い頬を更に朱に染めて、マーレイが訴える。その様は、なんと愛らしいのだろう。
マヒトは妹を眩しい思いで見つめた。
僕のマーレイ。
言葉に出さず、胸の内で呼ぶ。
マーレイの衣装は、確かに、パーティだからといって精一杯お洒落をしてきた姫君達に比べては、少し地味に映るかもしれない。しかし、マーレイ自身の美しさを引き立てる衣装だとマヒトは思う。
わずか十歳でこれ程の美しさなのだ。成人した暁にはどれ程美しくなっていることか……想像もできない。
マヒトのマーレイ。
誰よりも何よりも大切な、たった一人の姫。
「みっともなくなどないよ、マーレイ。お前にはその色がよく似合う。薔薇色のドレスも、鮮やかな空の色のドレスも、似合うけれどもね」
マーレイのさらさらした髪を、真珠ピンに気をつけながら、マヒトがもてあそぶ。
マーレイは、何だかとても心が軽くなる。
兄様が側にいて下さると……何と心地良いのだろう。兄様が触れて下さると、何と嬉しくなるものだろう。
「そろそろ行かなくては。お前の側にもっと居てやりたいけれど……誇り高い僕の妹、こんな陰に隠れてないで、出ておいで」
「兄様、有難うございます。わたくし、兄様の妹ですから、大丈夫ですわ」
マーレイの唇から、すらすらと、思いと正反対の言葉が紡がれる。
本当はもっと側に居て欲しい。が、ダラ・スーチェアの王子は妹ばかりにかまけている訳にはいかないと、解っている。
将来の恋人に、王妃になるやもしれない姫君達と親交を交わすこと。それがマヒトの仕事だ。
そして自分は、将来の嫁ぎ先を見つけなくてはならない。
幼いマーレイにも、その自覚がある。
王女としての自覚だ。
婚姻なんてまだまだ先の事のように思えるし、この愛しいダラ・スーチェアを離れたくはない。
だからといって、国内の有力貴族に降嫁すれば、嫁ぎ先の権力が必要以上に増してしまう恐れもある。
それに、両親や兄、そしてアナシアにも、臣下の礼をとらなければならなくない。今までのように気安く喋る事など不可能になる。
いっそ結婚などせずに、ずっとダラ・スーチェアの王女でいたい……というのが、十歳の少女の偽らざる感情だった。
ダラ・スーチエアでは王族も、自由恋愛をし、婚姻を結ぶ。
政略結婚をしなくてはならない程、ダラ・スーチェアは零落もしていなければ、有利な婚姻を結んで版図を広げるといった野心もない。アザルディーン一古い血統は伊達ではない。
シャンタル祭は、その相手を見つける格好のイヴェントでもある。
今、病床にある王妹エアルも、シャンタル祭で恋をし、子を成した。
「わたくし、行きますわ」
空になったグラスを、「有難うございました」と言いながら兄に返すと、ふぅわりと、マーレイは翡翠色のスカートを翻した。スカートのスリットから重ね履きしてある緑色の濃淡のペチコートが幾重にも覗く。そのまま限りなく上品に、そして急ぎ足で柱の陰から進み出た。
その瞬間、わっとそこに視線が集中する。
逃げ出したい───そう思うのは十歳の少女としては当然で。
だがマーレイの矜持が己の弱気を許さない。
唇が柔らかく笑みを刻む。
睫毛をはたはたと泳がせ、マーレイは周囲を見回す。
「マーレイ様、驚きましたわ。どちらにいらっしゃったのかと、わたくし達、思いましたわ。あんな柱の影にいらっしゃったなんて」
そう声をかけたのは何処の国の王女だったか。
次の瞬間、マーレイは興奮した人の群に取り囲まれた。