みどり姫

□第一章・幼き王女

　ダラ・スーチェアの夏は短い。
　季節の変わり目を、マーレイははっきりと自覚した。
　ふるる……と彼女は肩を抱く。寒い。
　鳥肌だってしまった二の腕を撫でさすりながら、誰に見せる訳でもなく、マーレイは微笑んだ。
　自覚の無い笑顔───そんな時の彼女は、他のどんな時の彼女より美しいのだけれども、不幸な事にマーレイはそれを知らない。
　ただ、早足で近付いてくる秋の訪いを知り、花より艶やかに微笑んだまま、布団をしっかり引き上げ、寝台の上で半身を起こしている。
　短い夏は嫌いではないが日に焼けるのが怖い。
　そうマーレイが言ったのは四年も前、十歳の時だ。
　それを聞いた父、サディンはマーレイを『小さな淑女』、そう呼んで愛でたけれども、母は良い顔をしなかった。
「十歳の娘が日焼けを気にするなんて……」
　と、母、リウシェンダは言った。
　だけれども、確かにマーレイの肌は日に焼いてしまうには惜し過ぎて。
　真珠とも乳とも謳われるその白い肌は、ただ白いだけではなくて、紅差し指を浸したような、微かな、微かな赤味があった。
　それは両親ですら心配する程、完璧な美貌を持ち合わせて生まれてきた娘を、健康で年相応に、そして人間らしい娘に見せていた。
　マーレイは秋が好きだ。
　春夏秋冬、どの季節も愛しいけれど、特別。
　豊かな実りを象徴する黄金の稲穂の豪華さ、山を朱色に変える紅葉の絢爛。
　だが、木々は葉を落とし、日の出ている時間が日一日と短くなる、寂しさもはらんだ季節……それが秋。
　美しく儚く、そんな秋がマーレイは好きだ。
　沢山のパーティーに、祭もある。その祭……シャンタル祭で、マーレイは正式に社交界デビューする事が決まっていた。それを考えると、今から胸が騒ぐ。
　そして、忘れてはいけないのが、シャンタル祭の前にある、兄、マヒトの誕生日。
　プレゼントの支度も、滞り無く進んでいて、今は仕上げの段階だ。そう、マーレイは大好きな兄に贈る物を、今年は自分で作ることにしたのだ。
　兄はこの国、ダラ・スーチェアの第一王子である。当然、豪華できらびやかな贈り物は山と積まれる。それに負けない印象を与えたかった。
　兄に喜んで欲しかった。
　プレゼント、気に入って頂けるかしら？
　昔のように『僕のマーレイ』と呼んで下さるかしら？
　そう考え、マーレイは頬を染める。
　寒さが心地良かった。肌を刺す冷たさではなく、心を撫でる涼やかさ。
　つぃっとマーレイは寝台の上から滑り下りると、東の窓の方へと近寄った。
　王宮の名を、様々な宮殿総てを総称して碧翠宮≪へきすいぐう≫という。マーレイの部屋はその碧翠宮の中、王族、そして一部の貴族が住まう翼麗宮≪よくれいきゅう≫の中でも最奥に位置し、特に秘宮≪ひぐう≫と呼ばれる宮殿の三階の角部屋だった。
　秘宮には直系王族しか住まう事を許されていない。その様に奥の奥の宮、第一王女が住まうに相応しい美しい部屋は、窓の外の景色も格別美しかった。
　緑の芝生、流れる小川のせせらぎを聴き、どの季節も寂しくないように植えられた木々や草花が心を慰めてくれる。
　マーレイの部屋は角部屋なので窓が二つ、東と南に。南の窓は出窓になっている。
　二つの窓には、苔緑のカーテンと、淡い緑の糸で刺繍が刺されたスーリエル・レースのカーテンがかかっている。
　そのカーテンを開ける。どきどきしながら。
　今朝はどんな顔で世界はわたくしに祝福をくれるのかしら？
　美しい世界はマーレイの愛するもの。
　ちなみにこの翼麗宮はその名の通り、翼のように広がり、執務を執る地宮、儀式に使われる天宮を守るように包み込んでいる。翼の付け根こそが秘宮であり、翼の先端に住まう者程、身分が低い。
　かちゃり、とマーレイは窓の掛け金を外した。そしてそのまま、両手で窓を開け放つ。
　───風!!
　窓から清涼な空気が入り込んでくる。柔らかく頬を撫で、鼻にキスをする。清冽なその風を、マーレイは肺一杯に吸った。
　晩夏の緑の匂いが部屋一杯に満ちる。
　空は、徐々に白みかけていた。
　今日は雲も少ない。美しい日の出が見られることだろう。
　こうして、一日が始まる。