20の葛藤
大人になれば見えること
家族を大切にしながら、仕事をして、結婚して、子供を産んで、普通の人生。

それがきっと最善で、いい人生になるんでしょう。

でも、何故か納得できません。

何も築けなかったくせに、何かが崩れる音がするのです。

ゲームやアニメの世界に浸っていたら時間は過ぎる。

歳をとる。

自然と最善な道を模索するでしょう。



でも、何故かそれが一番悲しい気がしてしまうのは何故ですか。

何故、こんなにむなしいのでしょうか。

何故こんなに胸が痛くて泣けてくるのでしょうか。

過去を後悔をしているのか、才能の無さになげいているのか、何もできない自分に失望しているのか、全て自分が弱いからだとまとめるのは簡単です。

そうやって今まで弱いからと逃げて何もしませんでした。

絶対はありません。

でも、絶対だと信じなければたぶんすらないのです。

私だって絶対を信じていました。

いつのまにか絶対を信じる気持ちがたぶんになって、私の可能性はたぶんですらなくなりました。

もう、現実をみなくなりました。

何もしなくなりました。

今は時間を切り売りして、ゲームで幸福を買いながら、幸せに生きています。

その幸せが本物ですか、ずっと続くのですか、未来はあるのですか、と聞かれたら黙るしかないでしょう。

何もできない人間はたくさんいます。
絶望して、尻込みして、何もできない。
私もその一人です。

死ぬときになんて言いません。
もう後悔してます。

生きている今、潰されそうなくらい後悔して泣きじゃくり歯を食いしばっている。

なのに、何もできません。

何も、じゃない。

私がしたいことは何かじゃありません。

わかっています。

でも、名前を出すことも怖いのです。

私は今から何が償え過去より優れるでしょうか?

もう何もしない間に感覚も失い昔より何もできない。

今からどうしたら自分を信じてあげられるでしょうか、どうしたら絶対という心を取り戻せますか、どうしたら納得して生きられますか。

人生を後悔しないためには自分で選ぶこと、なんて言われたら怒ります。

そんな結果論なんて、それこそ死ぬときじゃないですか、今日、明日、近い未来、ちょっと前に自分で決めたことの答えなんて見えません。

辛くて最終的に幸せなより、最終的に不幸でも今幸せでいたいと願うのは、いけないことですか、できるなら、今も未来も幸せでありたいのはあまりに贅沢ですが、この世にないものじゃないはずだ。

上がったり下がったりするのも幸せですよ。

私には上がる目処がないのです。

急降下してもかまわない。
その先で希望を掴んで上がれるならば…
でも、苦しいだけだ。
現実、掴めるものは希望や未来ではなく、苦しみだ。

急降下して苦しみを掴んで平行線、いつからでしょう、ずいぶん幼かった。

不幸のどん底にいた時だって、絶対を信じていたのに…

中途半端に幸せな今は、あぐらをかいている。

それを知った今から変われるなんて簡単に言う人は無責任です。

どんな言葉も響きません。
だから、誰かに何かを言ってほしいとか、誰かに何かをしてほしいなんて子供みたいなことは考えていません。

ただ、この文章は自分自身に語りかけているのです。

昔々、おもいきり泣きやがれと、言ってあげられなかった自分への罪ほろぼしに、今泣いています。

ずっと我慢して、何になりましたか、何にもならなかった。

誰かの平穏が幸せなんて、ずいぶん大人ぶったガギじゃありませんか。

可愛くない。

心の改革なんて洒落込むつもりもない。

ただ、自分に言ってやりたかったんでしょうね。

貴方は幸せだよ。
でも、辛いよね。
泣いてもいい。

今度、自分にありがとうって言ってあげるから、それまで頑張ろうね。



なんて自分に言われたら、なんとかなる気がしませんか?



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