トイレキッス
役者達はすぐさま衣装に着替えた。他の部員達は、洋平の指示にしたがって、急いで舞台装置を組み立てた。そして、少し遅れたが、どうにか上演をむかえることができた。
芝居がはじまった。
体育館の舞台の幕がゆっくりと開く。
観客の生徒達がざわめいた。
舞台の上には草原が広がっていた。
作り物ではない、本物の草が、舞台の上にびっしりと生い茂っているのだ。
今回の芝居、「百獣」の舞台であるサバンナを表すために、本物の草を使う。
それが洋平の考えた舞台装置だった。
具体的な製作手順はこうだ。
まず山から腰の高さくらいの草を大量に集める。次に蓙と接着剤を用意する。そして草の一本一本を、接着剤で蓙につき立てるようにくっつけて、蓙の上に草むらを作り出すのだ。
草を蓙にくっつける前に、全て草の中に、細い針金を刺しこんでおいた。
そうしないと、草がしおれて倒れてしまい、草原にならないからだ。
洋平は、何千本という草のひとつひとつに、細い針金を刺しこんだ。それは、とても気が遠くなる作業だった。
洋平のアイデアはそれだけではなかった。
観客の生徒達の視線は、草原を見たあと、舞台の中心に注がれた。
そこには、木が生えていた。
舞台の天井にまで届くくらいの高さの、本物の木が、草原の真ん中からのびていた。本物の木も、舞台装置に使われているのだ。
洋平は、いままでバイトで貯めていた金と部費で、家族から庭にある木を買いとった。そしてその木を引っこ抜き、根元の部分を切り落とし、舞台の上に置けるよう、支えをとりつけた。
文章にすると、それだけの作業だが、まっすぐではなく、やや斜めに伸びたその木の支えをとりつけるために、必要な重りをうまく作ることが難しく、何度も作り直さなければならなかった。
一日三時間睡眠の苦痛に耐えながら、洋平はその作業をやりとげた。
そしていま、こうして、舞台の上にリアルな自然の風景を持ち込むことに成功したのだ。
背景の壁には、拡大コピーした巨大な青空の写真、舞台の上には土をふりまき、その臭いがかすかに観客席まで届いて、見る者に、「自然」を感じさせた。
洋平が十五日間、ほとんど眠らずに作り上げた草原は、観客の心をうまくつかんだようだった。
舞台袖に立つ洋平は、観客のざわめきを聞いて、思わず泣きそうになった。そのざわめきだけで、いままでの苦労がすべてむくわれたような気がした。
おれ、やっぱこの仕事、好きやわ。この裏方の仕事、めっちゃ好きやわ。
涙がこぼれないように、上を向いて、何度もまばたきをした。