胸が締め付けられるほど「好き」
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 先輩の予想は外れ、3年が過ぎた。

 奥さんは火曜日に相変わらずミニスカートを履き続け、俺に構うことなどなかった。

 プライベートでは収入が安定してきたので、1人暮らしを始めた。しかし実際はアシスタントの合間に作品を描き続けたが、どれも先生の作品に勝るようなものではなく、このままアシスタントで終わってしまうのかと悩み始めていた時期でもあった。

 結局成人式の前日も徹夜で出席することなく、俺は先生になりたかったんだろうか、漫画家になりたかったんだろうかと自問自答する日が続いた。

 それでも、救われたのは、先生がよく褒めてくれたからだった。

 時間がない中、作品ができたら読ませてとまで言ってくれた。

 作品は思うようにできず、彼女もいなかったが、先生の作品に携われているのなら……と、藁をも掴む想いで生きていた。

 趣味、漫画を描くこと。

 だけど俺はまだ20歳。相模先生のアシスタント。

 繰り返し前を向く中、よく、愛子に救われた。

「洲崎君ち、遊びに行きたい!!」

と駄々をこねられ、

「そんなことしたら、警察につかまっちゃうからね~」

と先輩達にからかわれたが、休憩中や仕事終わりによく遊んでやった。

 テレビゲーム、縄跳び、ボール投げ……。愛子の友達を紹介されて一緒にトランプをしたこともあったか。

 愛子は自慢げに俺を他の子に取られんとばかりに、気を張ってたっけな……。

 先生も相手をしてくれると助かると喜んでくれていたし、俺も多少面倒ではあったが、嫌いではなかったし。暇つぶしに丁度いいかと思っていた。

 そんな中、先生が倒れた。来年公開の映画の打ち合わせなどが重なり、寝る時間がとれていたのかどうかもあやしい、超多忙な最中だった。

 脳梗塞だった。

 確か、年齢はまだ40くらいだったが、高血圧、不規則な生活、多忙、様々なことが重なり、漫画は休載になった。

 後遺症による、右半身麻痺のせいで。

 だが、そのおかげで今の俺があるとも言える。決してそんな言い方はしたくないが、冷徹な言い方をすれば事実だ。

 あの日、いつまで休載するか分からない中、いつまで無職でいるのか分からないまま、入院先の病院に見舞いに行った時の緊張を今でも覚えている。

 広々とした個室でほぼ付っきりでいた奥さんを払ったあと、先生はたどたどしい口調で、ゆっくりと言った。

「ゆずる……つづきをかいてくれ」

 俺は目を見開き、ただ黙って白いシーツを見つめた。

 喜びが8割だとすぐに自覚したため、後付けでできる、何か言葉を探していた。

 「いや、先生はまだ描けます。リハビリ頑張って下さい」とか、「俺にはそんな大役無理だと思いますが」とか。

「どう?」

 しばらくして先生が問うた。

 即答えるかどうか迷った。答えていいものかどうか迷った。

 だけどもし、ここで引いて他のアシスタントに回されでもしたら、俺は、人生の路頭に迷う。それが怖かった。

「やらせて下さい」。

 その後はただ、妄想をした。 

 若く可愛らしい奥さんと結婚をし、白金区に家を建て、面倒なことはアシスタントに回し、自分は作品のいいとこどりをする。

 そうしていれば、巨額の金が入り、漫画は売れに売れ、編集者も頭を下げに来る。

 漫画家、洲崎 銀次郎(すさき ぎんじろう)の幕開けだと思った。

 先生が基礎を作ってくれたのだから、何も心配することはない。

 ただ俺は、先生の精神に乗っ取って、もっと面白い漫画を描いていけばいいのだと思った。

 何も不安などなく、俺の人生は既に決まった物だと思っていた。

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