妖花
「さ、帰ったら大根を炊くの手伝っておくれ。
あんまり長風呂してたら、ふやけちまうよ」
「ふやけるって、大根が?」
「あんたがよ」
百合が世話焼きっぽく言った。
柘榴口を抜けて、上がり湯を身体にぶっかける。
そして水気を払うための上り場まで移動し、体を乾かしてから袖を通す。
菊之助は固く手に巻き付けていた、麻の布をほどいた。
その下から、いくつもの潰れた肉刺が顔を出した。
懐から乾いた別の布で、その肉刺ができた左右の手を覆い縛った。
「大工の手伝いをしてるのよね」
百合は布を巻いた掌の、肉刺があった部分を温容になりながら指でなぞった。
「おう。
……木材とかを運ぶから、肉刺ができるんだよ」
無論、木材を担いで運搬するからではない。
百合が長屋を後にして、独りになった時。
口入れ処を頼っても自分に合う仕事がない時。
つまりは暇な時間。
その間に菊之助は誰もいない干し場で、木刀を何百と振っている。
だから肉刺が生まれるばかりで減らぬのだ。
すると、百合は何を思ってか薄く眉を垂れた。
自戒なのか哀切なのか、よく判別できぬ混沌した表情だ。
明るくてひたむきな面構えではなかった。
(もしや、春芝か)
茶屋でのあの一件---。
百合が後ろ髪をひかれるようなことと言えば、菊之助の思い当たるところそれしかない。
悪魔は苦を与え、懊悩を喰らう。
百合が春芝に何を言われたのか。
どんな懊悩の種を植え付けられたのか。
そおそも本当にそれが百合を悩ませているのか。
菊之助は詳しく聞いていなかったが、
(春芝の奴め、やっぱり今度会ったらとっちめてやる)
と、一晩寝れば忘れるような脆い計画を立て、菊之助は「あのさ」と声を掛けた。
「俺さ、もう、姉ちゃんに心配はかけさせないよ」
突然に口を切れば、菊之助はそればかりだ。
言われた百合の視線は、おのずと菊之助の刀を捉えた。