妖花
辻斬り------武士が町の辻で人を斬りつける事である。
無論、これは重罪だ。
江戸時代初期、戦乱の世の風潮が残っているためか、ただの侍の憂さ晴らしのためか。
一般に辻斬りとは、刀の切れ味を試すために辻で町人を斬るのだと云われている。
慶長七年には辻斬りを犯した者には厳罰が下されるようになったし、防犯のためにこそ辻番や番所が設けられている。
だがそれでも、辻斬りとはあまり珍しくはなかった。
しかも余程の証拠がない限り犯人を捜すことは不可能であるし、人気のない所で行われるため目撃者もそうそういない。
「おとう」
おぼつかぬ足どりで、菊は一歩進んだ。
「行っちゃだめよ!」
蓮兵衛の母が腕を伸ばしたが、菊はその腕から逃れて、血の粒を弾きながら父の屍に近づいた。
目を凝らせば、まだ幼げな父の死に顔。
菊はそこにしゃがんで、唇をすぼめていた。
そして、菊は父が手にしていた刀を無理にもぎ取り、血に濡れて光沢を放つ鞘に収め、それを抱き締めたのだった。
「おい、それは血まみれだぞ」
死体処理にやってきた役人が菊を見おろして言った。
「これ、父ちゃんのだもん」
刀にすがりついて、菊は額を柄にこすりつける。
「父ちゃんのだから、次は、俺のだもん」
菊は意味不明な事を言い張るばかりであった。
耐えかねた町人がふたり、菊之助を抱き上げて血だまりから退く。
藁の敷物にくるまれた屍を、役人たちが運んでゆく。
百合はうつむいたまま、菊之助を庇護するように体で覆い隠した。
二人は静止している。
泣く様子もうかがえぬ。
菊が頭を上げると、なんとも弱々しい姉の顔があった。
か弱いのを懸命に誤魔化そうとする、引き攣った顔だ。