妖花
佐藤菊之助
*
夕暮れが近い。
建物や人やらの影が、夕日の緋色に映えた地面に浮き出ている。
だが高所からその影を見れば、まるで燃え盛る業火の中で人が悶えているようである。
悠然と下駄を鳴らし歩く町娘。
お大尽をせっせと運ぶ篭屋。
道端に寝転がる怠惰かつ呑気な、尾が二つある猫。
人から獣、魑魅魍魎に至るまで、江戸の民は賑やかだ。
「白玉あ。ごぜん白玉あー」
白玉売りの威勢の良い声が江戸の町にとろける。
未だに夏の暑さが残る季節だが、もう長月、本格的な秋を迎え清涼な風が吹くようになれば、ひんやりとした白玉は売れなくなるだろう。
暑さのない時期は、白玉売りには気の毒な時期である。
そんな白玉売りの横を、浪人と思しき者が通過していく。
浪人はまだうら若き少年だった。
十六、十七ばかりの、長身で丈夫そうな体格の少年である。
洗いざらした藍の着物の袖から窺える腕は逞しい。
紺の袴から伸びる足も大の男並みである。
少年の眉は濃く、あまり目は大きくないがそれは生気にあふれていた。
髪を落とさず首の後ろで一つにまとめている、という妙な点を除けば、この少年浪人の外見は江戸っ子らしい立派な快男児であった。
そしてその腰には、安っぽいが手入れの行き届いた一本の刀がぶら下がっている。
少年……佐藤(さとう)菊之助(きくのすけ)は、犬を斬ったせいで血脂が付着した刀の鍔に触れる。
ぬるぬるとしたうえに赤黒い野良犬の血は、半刻ほど前まで命があったその犬の咆哮を想起させた。
(可哀想なことをしちまったなあ)
菊之助は切なく思った。
半刻前の事である。